大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔一〕

大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔一〕
公開:2021/09/06 更新:

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。

『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。

こちらは『大大阪君似顔の圖〔一〕』の内容になります。


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大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


大大阪君似顔の圖〔一〕

(い)大大阪の顔の輪郭
(い)大大阪の顔の輪郭

(コレハ毎日顔ノ道具ヲ實地踏査ノ上描キ込ンデ行キマス)

机上に新市制の地圖を按じてみる、舊大阪の東西南北の四區はあざやけき黄、水色、緑、赤の四色をもつて現はしてある。その周圍に樺色、紫、薄桃色、その他さまざまの混色をもつて現はしてあるのが膨脹の新市區だ。何といふ膨れ方だ!そして数も多い。この地圖の印刷師は費用のかからぬやう、なるべく四色のかけ合わせで新市區の區分の色を變へやうと思ったらしい。

しかし自然の定めた調色の約束を越える譯にゆかぬで、あきらめて同じ色を二區にも三區にも使ってる事程左様に新區の数は多く殖えた。試みに大阪市民にきいて見た『今度大阪の區はいくつに殖えましたかね』するとある人は『十二やろ』またある人は『十五やろ』と。正しく答へ得るものは少い。『大大阪の市民が自分の區の数を知らないのは變だ』と少しし輕蔑してやるとその人の負け惜しみ『大大阪は四月一日からなりまンね。四月一日になったらはっきり覚えまンね』

再び地圖に戻って考察する。新區の膨張は南、北、東の三方、そして、もとの市よりも膨れた方が何層倍か大きい。欲張ったね。何故西へ膨れなかつたといふと西は大阪湾の水だ。流石の大大阪君も水の中へ水道や十六間道路をひき込むことは流石に躊躇したらしいけれどもこの欲張りやうでは『ついでに大阪湾も海區として編入しようか』ぐらい一遍や二遍は頭の隅で考へたかも知れない。

舊市區を元の顔とする。そして地圖の上で上、左、下への急性な膨脹をヤブ醫者にみせたら『これは流行性感冒の熱で左の扁桃腺を脹らした。それが腎臓へ來た。腎臓の水腫が左顔部へ現はれたのだ」など誤診しさうな膨脹のし方だけれども、もとより大大阪は健康的な筋肉の肥満、ヤブ醫者の文句などには取り合ふまいぞ。

地圖上に現はれた新市區の外輪を人によそへて大大阪の顔の輪廓とする。輪廓を上圖の如く描いた。そして先づ顎の方即ち南の方の皮膚には何があるだらう。自動車よ、南に行ってくれ。

『長松の頭に瘡生へた』事

挿絵1
挿絵1

S君、自動車の窓より『これが大阪で始めてできた安金地帯でつせ』と示す。處は恵美須町の停留場。まだ、木のらちを設け工事中。霞町紀州街道の咽喉へくる。鐵道のガードがあり、これより都市區の西成區、住吉區への交通道路はこの一本道、故に車が車に重なっている。こう一筋を無暗に使はれたら帶ならとつくにすり切れている。鐵道堤に沿ひ右折、穏健和順な言葉遣ひでいへばここは最も富んであらぬ人、最も生活の豊かであらぬ人の住ひの區割ださうな。米も底干る釜ヶ崎となんいふめり『やど』と並べる掛行燈はすべて木賃宿『てがみかきマス』と貼紙してあるのは名筆の自慢のプロパカンダではない。そういう商売ださうな。男の兒は二錢銅貨、一錢銅貨で地上に賭選びをして居る。女の兒は『長松の頭にくさ生えた』と唄ってっている。S君鐵道堤を指し『夏はこの堤に妙な賣ものが出ましてな、あんばいよう頭を上にして足を下にして!』これこれ何があんばいようだ。釜ヶ崎の住人は和歌山市より多い相な。

『コンマ以下』の洒落は人のものの事

挿絵2
挿絵2

富んであらぬ人々の為めに神に祈りを捧げて再び街道筋へ出る。田舎車が行く。馬がめつそう小さい。人それを得々として牽き行く。S君『コンマ(小馬)以下やぜ』と洒落たが、彼案外正直ものあとで小さい聲で『この洒落は誰がいふたのや知らん』と所有権の存在をあいまいにする。何もこれしきの馬なら馬子自身で牽いた方が早からうに、また馬も馬だ一疋前めかして納つて牽かれ行く。進化論をかく訂正したい。他を使ひ度い度いと思ふもの萬物の霊長となり他に使はれて恨なきものは動物に居残る。


『天下茶屋』に文化侵入の事

挿絵2
挿絵2

天下茶屋へ入る。土間の廣場にむかし茶を煮て行人にすすめた茶釜竈が遺っている。その竈の上に牛乳の壜が三本、西洋花ヒヤシンスの鉢が一つ載ってる。縁にかしやの木札置いてあるところを見ると天下茶屋今は貸家で生活してるか。訪ふ『おかず、みな、わて、たくのや』と女客と話していた品のよい老婆立上り出で來りS君の顔へ顔をもってきた。S君婆さんにキッスでもされるかと見ている間に『わしは耳が遠うてな』といふ。裏庭は結構、秀吉の馬繋松といふのがある。木は若い。これに馬を繋いだ秀吉なら秀吉大正十四年お歳廿五歳位の歌定だ。S君、そこに居た三人兄弟の可憐な子供に『君はあの婆さんの子か肖とるぜ』と訊くと恥かしがつて第一の兄が学生帽をぐいと深く冠り顔をかくす。第二が真似る第三同じく。因にいふ女客はおばあさんに蜜柑の籠をお土産に持つて來て居た、七八十銭ぐらいのものだから、この返禮に天下茶屋のおばあさん、今度この女客の家を訪ねる時は一圓ぐらいの菓子折を持参する事が必要ならん。天下茶屋のおばあさんの為めに氣をつけて置いてあげる。

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