昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『 大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の画家・漫画家・文筆家・仏教研究家。妻は歌人・小説家の岡本かの子。長男は芸術家の岡本太郎。
義弟に洋画家の池部鈞がおり、甥は俳優の池部良。
-Wikipediaより
議会会期三箇月間毎日、記者席に頬杖つき、いろいろの似顔を描いてきた。強がりをいって遂に妥協する頭やさしげに見えて底意地の悪い顔、−かくて会期も終る頃、大阪朝日の同人より書を裁して来た『大阪も四月一日から大大阪になる。その記念の顔を描いて見ないか』と。
これはえげつない註文だ。えげつないといふ言葉はどういふ意味だか何遍聞いても関東えびすにはよく判らぬが、折角覚えたのを無駄にならぬうちこの邊でつかってしまふ。えげつない註文だがまた張合のある註文だ。日本の最大なる、商業歳の成長を畫筆によって其の寸法法を計ること!そは落筆以前既に脈々たる生命を筆者に感得せしめるところのものだ。
筆者は大阪に來た。大阪天満の眞ン中で畫筆をシヤに構へて申すようは『大大阪さん。ぢや描きますよ。君の平常の顔を見せて下さい、よそゆきの顔を見せて下さい、意氣の昂がった顔を、鹽垂れた顔を、−そうそうーぢや本當に描きますよ』
大大阪の顔は廣い。その眼その鼻、その口は何れにありや、筆者はその畫筆を自動車の車輪に結びつけて駆け出した。案内役は大阪通、口イド眼鏡のS君。