昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔十一〕』の内容になります。
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『S君、いろいろお世話になった、僕はそつと大阪を逃げ出すからあとはよろしく頼む』
『待て待て、藪から棒にどないしたンや。誰ぞと喧嘩でもしたのンか』
『さうぢやないよ。顔の道具の次ぎの思ひ付きが浮ばなくなつたのだ。で失敬する』
『あかんぞあかんぞ。顔を描き上げんうち失敬しては君の責任をどないするのや』
『さうかなあ』
『さなかうァて、三つ子みたいな物言ひをするやつちや。君を逃がしてはわてかて責任がある逃がす事ならん』
『ここに居たて大阪の顔の髯だの歯だのの思ひつきが出來なけりや、徒に煩悶して暮す許りれ』
『煩悶した儘で、ちょつと歩いて見い。また何かと拾ひものがあるやろ。人の一生は思ひつきが無くて大阪の顔を描くが如しと、三百年前家康さんが君の為めに遺訓さへしてある』
『さうか。服膺すべき言だ。ぢや煩悶しながらぶらぶらまた出かけやう』
『ここが市廳や』
『立派だね。市廳は墨入りの大理石の腰巻をしてるね流石腰巻好きの大阪人の市廳だ』
『市廳で誰に逢ひたい』
『機は市廳の椅子に拜謁したい』
『どういふ譯や』
『役所の人間は永くて三十年、短くて二三年どしどし變るが、椅子だけは變らない。その位置の椅子といふものは永世不窮だ。だから人はいふだらう。誰々さん何の椅子についた、名誉の事だと。何々の椅子は誰々さんによつてつかはれた名誉の事だといはない。高橋の達磨が農相の椅子について農相の椅子がやや重きをなしたのが近頃の除外例なくらいのものだ大阪市廳に来て、大阪の機鑵の代表すべきものに敬意を表さうと思ったら役人さんより椅子の方がその目的に適ってる』
『へんくつもんやな。どないなとせえ。ほたら、これが市長の椅子や』
『高等理髪店の椅子のやうに立派だね。高等理髪店へ行つて頭を刈る時間だけ、われわれも市長の椅子の坐り心持を味へるわけだ』
『助役室に有田高級助役さんが居られる。どないする、助役さんと話してみるか。椅子にしようか』
『御面倒でもちょっとどいて貰って椅子だけみせて貰はうこの人が
栄転でもして、二十四時間以内に高級助役で無くならぬとも限らぬから。S君この在田という紳士はしつかりして手腕がめってそして、磊落なところもあるだらう』
『さうや。どないして判る』
『永年似顔を描きつけて居ると、隠し文字で顔に書いてあるのが讀める』
『さよか』
『それから、この紳士は無邪気に酒に酔って來ると、誰人と嫌はず傍の人の膝を枕にして寝てしまふ癖があるだらう』
『ほんまにさうや。どないしてわかる』
『永年似顔を描いていると、頭の形で判る』
『おとろしいもんや市会議長の泉さんが入って來た。この人はどうや』
『この人は手腕の人よりも人物が円滑で、担ぎ上げられるといふ側の人らしい』
『さうや』
『それから、この紳士は干物問屋が本業だろう』
『おとろしいもんや、矢つ張り顔で判るか』
『判る。それからこの紳士は平民的で煙草はエアーシップを吸ふだらう』
『おとろしいもんや。矢っ張り顔で判るか』
『いいえ匂ひで判る』
『なんぢやい君は畫描きの癖に鼻も使ふのか』『あ、は、は、は、は、實は僕は手早く見てしまったんだ。さあ次の椅子に拜謁
しよう』
『これが部長級の椅子』
『成程少し格が落ちるね』
『これが課長級の椅子』
『これが主任級の椅子』
『課長と主任との階級の差別をつけるのに用度係りは大部考へたね。椅子の背中のもたれる板で僅か許り加減したね』
『これがただの役人の椅子』
『成程これはわれ等お馴染の椅子だ。なつかしや。オーマイ、フヱーロウ。ハウ、ドウ、ユードウ!』
『これが給仕の椅子』
『へー以上拜謁し終つて比べて見ると、市長になる人は尻が大きな人で、給仕になる人は尻の無い人と見える』
『市長だけには逢って見い、自宅へ行かう』
『よからう』
『道の序だから大阪城も見て見い』
『よからう』
『これが名代の振袖石、高サ四メートル半、横十三メートル半』
『成程大きな振袖の形だ』
『これが、蛸石、高サ八メートル餘、横十一メートル、石の橋に蛸の頭の石のしみが出とるやろ』
『サア、思ひついた。この大阪城の名石が大阪の顔の歯だ』
『それでわてもやうやく安心。』
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