大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔十〕

大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔十〕
公開:2021/09/11 更新:

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。

『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。

こちらは『大大阪君似顔の圖〔十〕』の内容になります。


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大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに
大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


大大阪君似顔の圖〔十〕

(ほ)大阪の顔の眉
(ほ)大阪の顔の眉

挿絵1
挿絵1

(浪花踊見物のつづき)場内を見渡すと西洋建築に程よく日本式の造作をあしらひ廣さも丁度よし、演舞場として成功してる。踊は今『大大阪』八段返し名所づくしの第二段まで進んでる。舞臺一面桑津櫖堤の景、上手桟敷側にしつらへある、三味と唄ひ手の老妓、下手側の笛太鼓、鉦の雛妓の長唄の合奏につれ、その左右から踊りの隊が出て来た。みんな白足袋のはだしだ。舞臺よきところへ出て持出た紺のちりめんの手拭を一人乃至二人三人で綾に弄び乍ら踊つて入る。一體踊りといふものに出て來る踊り手の意味や性格が少しもわれ等書生には判らぬ。桑津の土手にこんな立派なお姫様が揃ってかけ落でもするやうな足袋はだしで出て來る事があるかしらん。地震の逃げ出しかと思へば呑気に踊って居る。判らぬ判らぬといふを聞いてた居たS君。
『踊は象徴やぜ。寫眞に見てはあかん』
『だって背景は十分寫眞だぜ、本ものに見せやうとして出来てるぜ、それで居て踊り子だけを詩に見ろといふのは右の眼と左の眼を一!』
『うるさいなあ、それ幕が變りかけてるやないか』
『ヤア、桑津の土手がきれぎれに分列式をやつて引っ込んで行くあとから、ああら不思議や、國つ神、八百よろづの神と力を合せ國引きし給ふか、いつの間にか木津川の千本末の景に變った。日本の地變といへば天地開びやくの大業は申すもかしこし、次が瀬戸内海の陥没、次が琵琶湖が出來て富士が噴き出した。次が寶永山の噴火、次がこの間の関東の震災、火がこの演舞場の桑津土手退却、木津川千本松出現だらう。成程しんとして音するものは長唄の冴えのみだ。この場面では踊り子が出ないね。やややや、その代り月が雲間を破って出て來た。そちらみんな手を拍いたぞ。この月の出の喝采が今までより一番盛んだ、してみるとこの月が新町一番の名踊り子と見える。この踊り子なら僕は馴染をつけたいから君一つ世話をして呉れ』
『少々遣ひものが要る』
『何だ』
『すすきの穂と餅を十五錢三寶さんへ載せて行くのや』
『いとやすい事。してして、君さまとの逢瀬は幾夜』
『曇った夜は逢へんぜ、その上舊のみそかは休業や。てんごういうとるうち、それ月が水にうつつてきれいや』
『見物が又喝采だ、だがよく見て見給へこの月と水にうつる月影と筋がちがってる。月は勝手に照し、水は勝手に方角の違った方で働いてる。月と水は昨夜夫婦喧嘩したか』
『狸の月か、やぶ睨みの月や』

(四)鈴蟲振り廻される事

挿絵2
挿絵2

第四段住吉の景に美しい田植女の踊、この女達の一皮脱いだ職分からいへば彼女等は田植女でなうて田賣らせ女といふ方がいい。第五段帝塚山の秋、美女の一隊手に鈴蟲の籠を大事に持つて山を下って來る。 始めは大事に持つて居たものが踊りに夢中になると鈴蟲の籠を上下左右逆さ大文字に振り廻す。幕切れの頃には籠の中で一鈴蟲が眼を廻して屏死してるだらう。だから傍に用意の鈴蟲塚といふのが建ってる。第六深江の里がすみ第七呼ものの太郎冠者作鏡の舞だ。舞臺正面大きな古鏡の形が切り拔けて居る、それを貫いて見物席がうしろの背景に描いてあるので本當の鏡にこちらがうつれるやうに見ゆる。
その上鏡形の前に一人の仕人が舞ふと鏡形の向かふで同じ姿の仕人がうしろ向きに舞ふ。手振り足振り揃ふた時は眞に鏡にうつれる如く見ゆ。亜米利加のボードビル式のトリックに二十五座の二つ面より胚胎したらしい、ちと小手先の興味、太郎冠者式の臭味はあれど単に興味を主眼とすれば策は当って居る。第八櫻の宮の場で賑かに打出し。
S君『どうや、さつき薬屋で見た年寄りの女の化けたのを舞臺で見付けたかいな』
『判らない。みんな十五六に見える。うまく化けたね。けれども、楽屋で彼等がいもを喰つたり、腰巻を散らかしたりしてるのを見て置くと化かされ方が大分調節される藝子にもろい見物には先づ楽屋を見て置くのをおすすめする。すっぽん料理は楽屋覗くべからず浪花踊は楽屋見るべし』
『そら何の事や』
『いや、この間京都の大一のね、すっぽん料理をね喰ひに行ったのさ。處が料理場ですっぽんが甲羅を剥がされる修羅場を見て來たら後で座敷へ行っても喰へなかったよ』
以上見分し終り大阪君に約束通り踊りの舞妓の眉を眉として描いて進せる。

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昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


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