全国遊廓案内(昭和5) 臺灣本線順

全国遊廓案内(昭和5) 臺灣本線順
公開:2021/09/13 更新:

このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『臺灣本線順』に存在した遊廓を説明します。


臺灣本線順

臺北市萬華遊廓

臺北市萬華遊廓は臺北市萬華街にあつて萬華驛で下車する。勿論一廓をなした遊廓だ。臺北市は府廳の在る處で基隆港からわずか二時間位で到着する。

市街の整然として紊さぬ處は正しく外國に行った様な気分のする町である。市の東北に臺灣神社がある。

貸座敷数は約六十軒、娼妓約五百六十人位居る。寫眞店で、娼妓は全部居稼ぎ制だ遊興は全部時間制又は通し花制であるから廻しは取らない「御定り」藝娼妓なら六圓、酒肴附で娼妓なら五圓同じく酒肴附である。遊興税は五圓以上一割となつて居る。一時間遊びは二圓見当。此の地は藝妓及娼妓と藝娼妓の三種がある。

彰化街遊廓

彰化街遊廓は臺灣臺中州彰化街西門にあつて、鐵道は縦貫線彰化驛で下車する。

貸座敷は約五軒、娼妓は約四十人位居て、主に内地人及少數の朝識人が居る様である。店は寫眞又は陰店を張って居り、時間制で廻しは取らない事になつて居る。「御定り」は四圓と五圓とあつて、四國は娼妓五圓は藝娼妓である。何れも臺附で一泊か出來る。一時間遊びは一圓七十錢位。

花蓮港遊廓

花蓮港遊廓は臺灣花蓮港廳花蓮港にあつて、汽車なら臺灣本線花蓮港驛で下車し、船便なら基隆との間に毎日航行して居る。

貸座敷は約十軒、娼妓は約八十名位居て、朝鮮人と内地人とほぼ同数だと言はれて居る。「御定り」は藝娼妓六圓娼妓五圓位で酒肴附で一泊が出來る。廻しは取らないので、何れもゆっくり遊興が出來る譯だ。

臺中初音町遊廓

臺中初音町遊廓は臺灣臺中市初音町にあつて、汽車は臺中驛で下車する。

貸座敷は約八軒、娼妓は約八十人位居る。店は寫眞制娼妓は居稼ぎである。「御定り」は五圓で娼妓が相方、藝娼妓は六圓位で両者とも酒肴附一泊の通し花遊びである。廻しはない。情緒は一見料理店で藝妓を揚げて遊興する感がある。

樓名、浪花樓、小泉樓、大正樓、常磐樓、富士見樓、八千代樓、朝鮮樓、吾妻樓


嘉義遊廓

嘉義遊廓は臺灣臺南州嘉義町西門外にあつて、汽車は臺灣縦貫線嘉義驛へ下車する。

貸座敷數約十軒、娼妓約七十人位居て寫眞店である。大阪式の時間制又は通し花制で廻しは取らぬ事になつて居る。「御定り」は一泊酒肴附四圓位で、娼妓にも二枚鑑札を持つて居る者も居るので此の場合は一圓高見当である。一時間遊びは二圓程。

臺南市新町遊廓

臺南市新町遊廓は臺南州臺南市新町に在って、臺灣幹線臺南驛から西南へ約十丁、乗合自動車は新町で下車する。貨十錢。

臺南には、鄭成功を祀った縣社臺南神社がある、臺灣島は、今から約三百年前にはオランダ領であつたものを、鄭成功はオランダと戦闘の上に占頭した。後支那の清朝に占領されて明治に至ったもの。鄭成功の父は支那の明朝の臣、鄭芝龍で、日本に渡った時に、肥前の藩士田川氏の娘と結婚して、其の間に產れたのが此の鄭成功であつた。

茲の遊廓は大正四年に現在の個處に移転したものであるが、元は市內南勢街に在ったものだ。

目下貸座敷は十四軒あつて、藝妓七十人娼妓は百十人居る。鹿兒島縣の女最も多く、次は長崎縣、熊本縣の女である。店は寫真店、藝娼妓は全部居稼ぎ制で、送り込みは藝妓もやらない。遊興は時間制と、通し花制で、廻しは取らない。御定り一泊は五圓五十錢で、一時間遊びは二圓だ。何れも臺の物は附かない。

妓樓は、置屋、揚屋、料理屋の兼営だ。藝妓の玉代は一時間一圓二十錢。

妓樓は、北國樓、布引樓、加賀屋、東樓、明月樓、豊本、皆花園、高砂、明石樓、鮮月棲、朝鮮樓、開門樓、富士見、金波樓、の十四軒。

臺南ノ民謡「門司を出てから、二夜は夢よ、戀し南の島へ着く。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。」
「君と南へ、北回帰線、月は新高山の上。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。」
「冬がいやなら、南の島へ、雪のない島、春の島。」
「夢が見たけりや、南の島へ、椰子の木かげで、戀のゆめ」

附近にはオランダ時代の珍らしい城址がある。

臺南市臺灣人遊廓

臺南市臺灣人遊廓は臺南市新町の日本人遊廓と小川一筋を隔てた向側に在る。臺灣へ行って、眞の臺灣気分を味はふならば先づ此の臺灣人遊廓へ行つて見ねばならない。樓主から藝妓から、娼妓迄が悉く臺灣人で、妓樓十軒、藝妓百九人、娼妓九十四人居る。店は寫眞式で、藝娼妓は居稼ぎ制、廻しは取らない。費用は日本人のより一割方安いと思へば間違いない。唄や、舞踊や、鳴物等は一切支那式だから面白い。

高雄市栄町遊廓

高雄市栄町遊廓は高雄州高雄市栄町に在って、縦貫線高雄驛で下車すれば東へ約十丁の地點に在つて、乗合自動車は栄町で下車すれば宜しい。

高雄には軍港があり州廳があって、高雄州第一の都會である。此處の遊廓は明治三十八年に旗后に設置されたものであつたが、大正八年に現在の個處へ移転したものである、現在同業者は十一軒あって、娼妓は百五十人、藝妓は五十五人居る。娼妓は二三十名の鮮人の他は全部內地の女である。各自貸座敷業者が、藝妓と娼妓とを同時に抱へて居り、中には二枚鑑札の女も居て、客の要求に応じて居稼ぎをやる事に成って居る。娼妓は陰店を張つて居るが、藝妓も娼妓も送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一夜四圓八十錢が最低で、其れ以上なら色々ある。税は五圓以上から一割取られる。

娼妓には、大笑樓、金波樓、君之家、花の家、松葉樓、眞栄樓、東海樓、幸樓、二葉楼、鮮月樓、朝鮮樓等がある。

馬公町遊廓

馬公町遊廓は臺灣澎湖廳馬公街に在つて、鐵道の驛は無い。一小島嶼であるから鐵道を施く餘地が無いのである。けれども海路は非常に便利で、毎日本島との往復便船がある。此處の遊廓は明治三十九年に許可されたもので、現在貸座敷が拾四軒あつて、娼妓が約百五十人居る。中には朝鮮人も居れば、本島人も居るが、内地人が一番多い。店は寫眞式で娼妓の揚げは居稼ぎ式で送り込み制では無い。時間制だから廻しは取らない。此處の客は多く船員が多いので、時間遊びより一泊の客が多い。一時間約二圓、一泊が四圓五十錢、晝は午前六時から午後五時迄が四圓五十銭と云ま事に成つて居る。五圓以上は消費額の一割が遊興税として取られる。娼妓の中には二枚鑑札の女も居るから、藝妓を呼ばふとする場合には便利である。但し此の場合には、遊興費が約五割程量む事を覺悟せねばならない。

妓樓は、都館、萬月、新正樓、開栄樓、松の江、朝日樓、太陽館、敷島樓、新喜樓、富の家、松の江分店、開福樓、松山樓、新栄樓、等である。

« 全国遊廓案内(昭和5) 沖縄縣


 ↓↓↓ 全国遊廓案内一覧はこちら

全国遊廓案内(昭和5) はじめに
全国遊廓案内(昭和5) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、当時存在した遊廓を都道府県単位で一覧にしています。

 ↓↓↓ 遊廓言葉辞典はこちら

全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)
全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)

昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、遊廓に関連している言葉の意味を説明しています。(遊廓言葉辞典)


B!
今後の励みなります。よろしければシェアをお願いします!