全国遊廓案内(昭和5) 山梨縣

全国遊廓案内(昭和5) 山梨縣
公開:2021/09/14 更新:

このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『山梨縣』に存在した遊廓を説明します。


山梨縣の部

上野原町遊廓

上野原町遊廓は山梨縣上野原町字關山に在つて、中央線上野原驛で下車する。

上野原は高燥の地に在つて、空気が善い。夏でも比較的涼しいので避暑地には善い處だ町並びに附近一帯が機業の盛んな處である。附近には東京電燈の發電所がある。

貸座敷は目下三軒あつて、娼妓は二十人程居る。附近の女が多い。店は陰店を張って居て娼妓は居稼ぎ制だ。遊興は時間制、又は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一圓二三十錢で、宵から十二時迄が三圓、引け過ぎからの一泊は二圓五六十錢見当である。臺の物は附かない。

甲府市穴切遊廓

甲府市穴切遊廓は山梨驛甲府市穴切町に在つて、中央線甲府驛で下車すれば西南へ約七丁の個處に在る。驛からは乗合自動車の便もある。

甲府は元德川直轄の地であつたが、今は縣廳の所在地で聯隊もあり甲府第一の都會である。生糸、葡萄、水晶等の産地で殊に甲斐絹及甲州ブドウの名を知らぬ人は無い。甲府驛の在る處は古の舞鶴城の一端で、城址は今舞鶴城公園に成つて居る。享保年間には、市內柳町に飯盛女として旅館に散在して居たものが、明治初年に新柳町へ移轉し、明治廿七年には遊廓と變更して、同業者娼妓共に其の數を増した。處が明治四十年の大火に全焼したので、止むを得ず四十一年五月には、代官町の假營業所から現在の場處に移轉して今日に至ったものである。現在貸座敷が二十一軒あつて娼妓は百七十八人居る。店は陰店を張って居て娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は全部時間制で、廻しは取らない。費用は一等店から四等迄の區別があって、一等店は一時間一圓四十錢、二等店は一圓三十錢、三等店は一圓二十錢、四等店は九十錢と云ふ事に成つて居る。御定りは一等店で三圓三十錢、四等店で二圓二十錢である。但し臺の物は含んで居ない。藝妓を呼べは玉代が一時間八十錢である。

甲州小唄
「甲斐は善い國 水晶の國よ 何時も變らぬ人心」
甲州音頭
「富士は東に 御嶽は西に 音頭取るならまん中に」
「船頭行くかや 富士川下り 歌で流すよ十八里」

一等店、甲子樓
二等店、大黑樓、八幡樓
三等店、京巴樓、竹川樓、伊勢樓、高島樓、松葉樓、佐野樓、常磐樓、幸大黒樓、佐保姫樓、角伊勢樓、雨宮樓、角樓、鈴木樓、丹後樓、恵比壽樓、富貴樓
四等店、藝井樓、遊月樓。

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全国遊廓案内(昭和5) はじめに
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全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)
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