大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔五〕

大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔五〕
公開:2021/09/09 更新:

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。

『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。

こちらは『大大阪君似顔の圖〔五〕』の内容になります。


 ↓↓↓ 文章をはじめから読む

大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


大大阪君似顔の圖〔五〕

(い)大大阪の顔の輪郭
(い)大大阪の顔の輪郭

エレヴヱーターめうとの別れの事

挿絵1
挿絵1

S君の外にA君同行。A君を憐みてよめる歌。

 妻の前へ見せられぬ絵に
  えがかれるを
  知らでや君のついて來るらん

これは腹の中で詠んだ。口へ出して詠んだらA君帰ってしまふだらう。

休日とて新世界は一ぱいの人ヱツフヱル塔へ登らんとてヱレヴヱーターの前で押し合ふ。それを二列に整理して端から順々にます目で量るやうにヱレヴヱーターヘ収容する。手の甲に蛙となめくじと蛇との刺青がしなびて居るヱレヴヱーター番のおやぢは裁判官の冷静と厳格とをもちて人一人でも多くは入れない。夫婦連れで來て妻だけ收容され鎖戶をおろされた田舎出身の夫がある。あはてて『めうとぢやめうとぢや』と怒鳴ってる間に妻は天津乙女。やがてその身代りにペンキで紅白だんだらに染めた昇降機のおもりがギーと降りて來た。頂上の一室は四方針金で籠のやうに張つてある。展望すると北は曇つて居てこれといふものは見えない。

東は緑の茶臼山、天王寺五重塔。南は眼の下に國技館より、區畫正しき住宅町、西は工場地帯の煙の薄れより大阪湾の水天はうふつ。以上の外之が若し晴れた日であつたならS君の大阪通の造形を傾けられて筆者はノートに精力を消盡してしまうところを曇つていて幸ひだつた。S君筆者を欄干の側へ連れて行き首を思ひ切り伸ばさせ下の平地を見下させ油断を見すまし筆者の膝のうしろ側を掌で上下に撫て「こそばゆいやらうこそばゆいやらう』といつた。S君一體君の歳はいくつなのだ。

高い處より平地に歩いている人間を平面圖に見下すと、げつちよりする(この大阪言葉も覚えてからここ等で早く使つてしまはぬと持ち腐れになる)土瓶の蓋のやうに見える胴體より前後へ短い手足を蟲の触角のやうに伸縮させ動いて行く人間。中にも威張つてあるく紳士と氣取って歩く女ほどおかしい。人間を笑ひ度くなつたらヱツフヱル塔に上るべし。

針金の綱に船臺のやうなものをぶら下げ空中を往復させるケーブルカー。これには『壮快なる飛行船』と廣告してある。さつきの田舎夫婦これに乗らんとして今度は念の為『一しよに乗れまつか』と係に聞合している。

朝鮮人の一家族が遊覧に上つている。夫は日本服、妻は朝鮮福、手をひいてる女の子は洋服、その服装の如く三つの様式の長所を彼等の素質にも着用し行かん事を誘祈つてやまぬ。降りんとして前の如く肩を押し合つて並んだ群集達の中で日本服を着てるものも言葉を聴けば朝能人の同胞が多かつた。

(二)酒豪の墓が團子型の事

塔の前の角のカフヱのゴミ箱をぼろの人が三人漁つて居る。その後を藝妓の披露の一隊が通る。男衆は一力の由良之助のやうな紋つきの着物を着て料理屋へ入つて行つて『何とか何とか何とか』と、節をつけていふが東京人には判らぬ。大方『こいつに客だまさせてたんと金絞んなはれや−』といつてるのだらう。男衆がさういふあとから當の藝妓も附添の女も一同に聲をそろへ『どうぞよろしうおたのみ申します』といつてる。これだけは判つた。

電車道を歩いて一心寺といふ寺の中へ入つた酒豪とされて居る後藤又兵衞の墓が今は禁酒の守神とされてる。その墓は團子形だ。能額堂に額が一ぱい重なつて掲げられてる。妻が夫の禁酒を祝つたのが多い。廿七歳の娘よりとして『酒類一切但しビールもその内』と書いたのがある、ビールもその内が女らしい。正宗のびんの形に額を刻みそれに左の文句が書いてあるのがある。

私は酒さいのまなかつたらきつと立身する自信があります。どうかお願です。キツト酒をのみませんから。めつたにのみません、廿七歳K―八朗君、

酒さいのまなかつたら大に自信があるね。なほこの寺には十萬以上の人間の歯骨で練り固めた佛像が三體ある。のぞくと鉛色の死の膚の佛體が生命を蘇す根本力の慈容威光を放つて居る。生を死に死を生に弘通圓融さす不思議のあるもの。彫刻にまれ何にまれこれを完全に象徴し得たら、藝術家の能事畢単れり。その能事をはらぬ間は、ハテどうするね。大に大阪の似顔でも描いてるかね。

寺でしようを吹く音が聞える『寺でしようを吹くものだらうか』といふとA君『しよういふ事になつて居る』と小さい聲で洒落て洒落た後からカラ咳をしたり周圍を見廻したりするのはまだ洒落にづうづうしくならぬ證據。


(三)古錢屋店ぐるみ値踏みの事

挿絵2
挿絵2

天王寺着、參詣道傍に小判大判に現価の札をはり古錢屋が店を張ってる『ナンデモ、賣買シマス』と書いてあるから『この店ぐるみ全部いくらだ』と訊いて見る。古錢を磨いていたおやぢ驚かず『この箱の中とこの額の錢とをのけて三千八百圓なら賣りまつさ、あんた方一晩お遊びやったらそれ位の金ぢき飛んでしまふわ』と相手によっては賣り兼ねまじき気色なり。一言なし。五重の塔は晩で閉って居た。かういふ時の始末は運命論者になるのが一番早い。五重の塔縁なしヱツフヱル塔縁ありとして大阪の鼻にはヱツフヱル塔を採る。

« 大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔四〕


 ↓↓↓ 文章をはじめから読む

大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


B!
今後の励みなります。よろしければシェアをお願いします!