昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔四〕』の内容になります。
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『ここが天六というて大阪の北では一番賑やかい處ぢや』S君自動車の窓より教へる。その天ぷらやの名前みたような處を通ってそれから細い道を困難してしばらく行くと見晴らしの廣い河岸へに出る。毛馬の閘門といふ處ださうな。向ふに幅の廣い川が流れてゐる夫に丁字形に稍幅の狭い川が取付いている。其取付きの角に饅頭形の小島があつて洋館が立ってる。竣功碑も立ってる。淀川の水を大阪市街へ程好く流すよう調節するところださうな。成程煉瓦作りの『せき』があつて『せき』の股の間より水を数多い小瀑にして流し落している『これぢや舟も通るまい』といふS君『こつちやへ来い』というて即席の閘門水務技師のような顔wpして小島の裏へ引つぱつて行つた。そこに細い別の流れが通じ夫を湾に受て漕ぎ入る船と注ぎ入る水を溜し出す仕掛けになってる。『はあ、ないしよで通してやるんだね』『ないしよといふ事あるもんか』眺めているうちこんな考へが浮ぶ。文化の施設といふものはその思ひ付きは案外單純なものだ。
飛行機にしたつて無線電話にしたつて、空を飛び度い、遠方の人と話したいといふ思ひつきは原始人や子供のもつとも早く考へつくところのものだ、それを複雑な設備で成就したのが文明の利器だ。この閘門にしたつて大阪の子供が道ばたで砂あそびする考へと考へに於てはあまり違ひはない。ただ設備が偉大なのだ。
だから將來も之等人間は童心の欲を捨ててはいけぬたとへそれがどんな架空な想ひであり馬鹿馬鹿しく見える企てであらうとも捨てない以上必ず成就する時機が來べきことは空飛ぶ飛行機、空走るラヂオ、そしてこの閘門が證人だ。童心の欲であれ!分別の大人になるといふ事はあきらめを多く持つといふ事だ。あきらめては文化は発達しない。童心の欲の點に於いてはS君も筆者も人後に落ちぬ。每日考へる事は『うまいものを喰はう』『面白いものを見よう』ただこれ切りだ。そして決してあきらめぬ。なんとわれ等は文化の先駆者ぢやないかとS君に語った。S君聞きも果てず『そやそや』と彼の偉大なる歯を剥き出しに。彼のロイド眼鏡は文化の象徴でこの歯は未開人の象徴だ。彼の顔は未開と文明の過渡期たる現代にもつとも相応しい顔だ。予はその意味でこの顔をこよなく愛する。
岸で巡査と人民とが流れの釣舟の竿を見て魚を釣つたかゴミを釣ったかと論して居る。
長柄の橋の人柱の話を聞きながらその長い橋を渡って淀川堤にさしかかる。大阪の子供等よ。君達は遊びにメリーゴーラウンドに行くに及ばぬ。この堤へ來て自動車に乗せて貰へ。丁度揺り動く木馬に乗ったと同じ面白さだ。それ程この堤は凸凹だ。乗客は毬のように跳ね上げられ、腹は急に減り帽子はまたたく間につぶれる。夏にもなり市長が眞新しい夏帽子を冠る頃を見はからひ、彼を自動車に乗せこの堤をはしらせ度い。その帽子のめちゃめちゃになつた時の顔が見たいものである。淀川堤、一名腹減り堤、一名帽子地獄の堤。堤を左へ下り田圃に出る。この田圃がまた腹減りたんぼ、帽子地獄たんぼだ。歩いて江口の里を訪ねる日暮れ人家ない畦道へひよつこりシヨールをかけた女が現れる。S君『けつねやないか。お尼つねらにや』わが尻をばたばたと叩く。漸く江口の君堂を尋ねあてる庫裡の障子に坊主頭と猫の耳の影法師がうつつてる。
S君『ちよと伺ひますがなァー』それから江口の君の云う処を尋ねた。影法師の主は老尼らしい、障子越しにけんもほろろの挨拶。『郡役所が來ても警部はんが來ても電気がついたらもう戸はあけまへんのや、新聞社の人かて嘘やほんまや判らへん』といふ。二人強盗の嫌疑をかけたらしい。宥めあやまつて漸くきく。老尼江口の君は賣女にあらぬ事。重盛の娘なる事。むかしええとこの娘はんは手持不沙汰に遊んで居やはつたから遊女と申す事、いんまのおやまはんと遊女は遊女でも遊女が違ふ事。江口の君は普賢菩薩の再来で舊三月十四日白象に上つて上らはつた事。確信をもつて語つた。江口の君と西行との歌問答の歌はすらすらと節をつけて誦し出した。その二人の記念塚は鐘楼の傍の木の茂みの前にある。われ等辭すると老尼急いで戸をがらがらと繰り閉した。
帰り道の大道村の田圃の中に村芝居を見つけた。中村幸次郎一座といふ。女侠客の霊験仇打をやつてる。舞臺の道具の瀧が愉快だ背景の遠山を見透して中天からよごれたふんどしのようなものが下がつてる。之が瀧だ相な。チヨボは浪花節、節につれて役者はキクリシヤクリやる、舞臺にも見物の子供が並んで居て役者のよごれた踵をちよいちよい親しみを持つていたづらにひつぱる。満場物賣りの野菜の油揚げの匂ひに充ちてる。さつきのシヨールの狐が見物して居る。―案ずるに大大阪の顔の揉上げに当るところに此村芝居があつた。故にこの節劇の太夫の揉上げを借りて大大阪君の顔の揉上げとする顔の右頬は海だから浪の皺。
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