大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔三〕

大大阪君似顔の圖(大正後期) 〔三〕
公開:2021/09/07 更新:

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。

『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。

こちらは『大大阪君似顔の圖〔二〕』の内容になります。


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大大阪君似顔の圖(大正後期) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


大大阪君似顔の圖〔三〕

(い)大大阪の顔の輪郭
(い)大大阪の顔の輪郭

焼餅屋元祖二つある事

挿絵1
挿絵1

大大阪の北部即ち顔にして頭の方面には何があるだらう?さあS君出かけやう。賑やかな浄正橋通りを右に見て北へ向け街道を行く。鐵道線路の踏切が四つもある。行き当る度びに待たされる『汽車が來たら街道の人間を待たすべし』といふ規則を誰が作ったのだ。若しその作者にこのうるさい街道を一遍でも通らせたら『街道の人間が来たら汽車を待たすべし』と早速改正するだらう。街道盡き廣い川が見える。新淀川。長い橋がある。十三橋。その橋のこつちの橋詰と渡った向ふに同じやうな焼餅屋がある。そして看板に一は本家、一は元祖と書いてある。家元が二軒ある譯だ。この不審晴らさねばならぬ。先づ雙方の焼餅を食ってみた。二錢銅貨大の餡入りの餅を盆に十載せて出す、五つはよぎの餅皮で五つ白い餅皮だ。うまさもまづさも両家全く同じだ。値段も両家同じく一つ一銭づつだ。商品の成績では裁きはつかぬ。そこで橋手前の大黑屋へ戻りおやぢさんに訊いてみた『一體どつちが本家なのだい』と。すると、おやぢさんは答へた『どっちやも本家や。ただ名前が違ふ。こつちやはあん焼き、向ふはやき餅』今度は橋向ふの今里屋久兵衛さんへ行ってきいてみた『一體どつちが本家なのだい』今里屋さんではおかみさんが出て答へた『どつちやでつかな。ただ十三の本家はここや。向ふは橋向ふの本家やらう』と。そこでS君こうもあらうかと筆者の詠めるぞれ歌

 十三のはしをはさめる焼餅や
 やきもちをせずやき餅を賣る(十三は土地の名)

S君聞いて『狂歌どころやない。買うたこのぎようさんな燒餅どないしよう』『いくつある』『七十六ある』『それで本家の店をもう一軒開こう』

神崎川にポプラの事

挿絵1
挿絵1

『S君。この土地の焼餅はいくら喰べても胸がやけぬそうな』『なぜや』『それ土地の名がじゆそう(重曹)だらう』『あまり貴重薬やない洒落や』かく無駄をいふうちにも自動車は能勢街道を進み早くも三國の宿へつく。日はとつぷり暮れる。この間、人家の並べるところは燈火相応に賑はしけれども、家盡くる間は道の左右夕闇の大根畑廣く続き、遥かなる墨の山根まで見通せる程なり。白衣の人三々五々、顧みて自動車を珍らしがるはみな朝鮮人なり。大阪市東淀川區は大根畑にして區民に同胞朝鮮人多しと當分のうちは地理書に書かねばなるまい。大阪君の似顔の頭も大根畑を描込む事にする。三國は酒酌ます印の提灯つりし小料理大き宿。宿外れに川あり神埼川といふここまでが大大阪の由。川にかかる神埼橋の欄干に頬杖つき闇を透せば、にぶ色の銀の流れの小岸にポプラすくすく天に立つ、独逸畫派の理想的な単色版をみるよう。


『不勉強』の看板に申譯がある事

挿絵1
挿絵1

車を返す。十三に戻る頃、道の左側に小店で『不勉強の親玉』と書いた看板を出した家がある。不審晴らさねばならぬ。店へ入るとエハガキや畫額を賣ってる。家へ持帰っても使へるよう着物かけの木釘を買ひ乍ら訊いた『不勉強で今日商賣が成立ちますか』店にはおばあさんと小さい娘と中年のおかみさんがいた。おかみさん笑ひながら『そこの處をな。何とか解釋して頂きます』わが店のモットーを客に任すとは異な事である。考へているとおかみさんしきりに眼を上にやるで、その方を見るとなげしに横額がかかっていてそれには『買ふ気になつて品を賣る』と書いてある。この料簡なら今日の商賣は成立ち過ぎる位だ。表の看板は客を呼ぶまでのトリック店の實は横額の方で盡すとみえたり。

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昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。


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