昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔六〕』の内容になります。
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大阪市の口といへば直に大阪湾の築港を思ひ當てる事、これは誰しも異論がないところだらう。折柄天氣もよし今日は港の春を見物しようか。
大阪には珍らしい幅の廣い眞っ直ぐな道路が可成り長く続いて居る。築港の大通りだ相た。大阪の道筋としいへば両側の軒の庇がくっついて居て太陽の光線はノミでこぢあけてやつとお通りなさる。東家の男猫が西家の女猫へ通ふにも道筋は戀の関所にはならぬ。少し後足へ力を入れてびこんと跳ねればナポレオンがアルプスを越へるより容易だ。一つ便利な事がある。通行人が若し物が買い度ければ店へ入るに及ばぬ。道の中央に立ちはだかりむづと両手を左右に延べれば両側の店の品物が一度に買へる。
まさかこれ程でもないが、まあま、話せばざつとこういふ鹽梅。ところでこの大道路は全く趣が違ふ大阪離れがして居る。S君『ではこの道は處の感じや』と訊くから『さうさ後藤新平さんがそろばん考へず引っぱつた植民地の道路の感じだ』『褒めとるのかくさしとるのかい』『兎に角道路だけは誇大妄想狂的にひつぱつたのがよい』
自動車を下りると見晴らす春の海。桟橋の入口の左右に長閑さを破ってガアガア怒鳴つてる男がある。『最新式モーターボート、いよいよ乗り込んで外國船、軍艦の見物、すつかり見せますぜ。さあ一人前二十銭ぢや』どんな最新式かと岸の下を見ると和船に発動機を据ゑつけたもの。この左右の客引きは違った船の客引達にて隻方『早いのはこちら安全なのはこちら』と怒嶋り争ひ一人の客が通っても左右から袖を摑む程に白兵戦をやってるから今に喧嘩するだらうと見て居た。どうしても喧嘩しない。流石は商業市の船頭だ。
桟橋に繋船が案外少い。三つしか居ない。大阪君港では神戸に譲って居るのか。歩いて桟橋の突端へ出る港務所の監視所がある。中へ入る。青年の書院が職務上の本を開いて居る。彼の話『はあ、情死ものですか、ちよいちよい來ますよ。ここへ來るのは夏が多うございますね』どうせ死ぬのだから冷くてもよささうなものだが冬はあんまり来ないとは人間は死ぬ際まで好みといふ事に支配される證據だ。『救けて呉れ、といふ信號はどういふのですか』訊くと青年は一冊の本を持出して来て『これにすつかり出てます。Cといふ旗とNといふ旗をあげるのです』それからその信號の本を借りて繰ってみる。いろいろのがある。『チョコレート』が『IPN』で『息子』が『WJV』切つめた必要だけしか相圖せまいと思はるる信號約束に閑交字の『歌』といふ字まである。それは『WJX』だ。海の言葉も思ひの外余裕がある。窓にカーテン代りに垂らしてある旗をこの地引で繰つて見るとそれはRの旗であつた『夏は蚊が來なくていいですね』『ふだんは來ませんが青島肉がつくとやつて來ます』港は今や落日の光景。築港突堤の嘴と嘴の間に落ちてまぶしい。それを強ひて我慢して眺めて居ると写真の乾板色の沖に淡路島影が認められて來る、港はなぎ。水賣船の船頭は後甲板に風呂を立てて入ってる。
歸りに廻り廻って御霊さん参拝。御霊さんの神主さん当分酒屋に用は無い。何故なれば四斗樽の菰冠りが十も奉納されて居るから。社殿の下に小さな昔の籠が置いてある。『大大阪に今でもこんな籠へ乗る人があるのか』S君考へて居たが『なんぢやい。これは人形芝居の籠が邪魔やからここへ出しとるのや。すぐそこが文楽や』
S君淀屋橋といふ處で別れるといふ。予はあはてて手帖の紙を裂き『NR』と書き高く掲げた。S君『あほらしい。そらなんぢゃい。』予『我ハ助ケヲ要ス我ガ傍ニ止マラレタシの信號だ。』S君『また宿へ歸る電車判らんのか、しようもない男や。ほたらもちつと居てあぎよ。』
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