昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔七〕』の内容になります。
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前日の圖よりして大大阪君の似顔は口に巻煙草をくわへて居るであらう。それは何か? 市の発電所の大煙突! 二本ある。もし細巻の巻煙草にしたくば工場地帶に行き給へ何百本もある。
今日は進んで大阪君の片眼を入れる日だ。
『S君今日は民衆デーとして道頓堀へ行き、われ等の眼にも保養をさしてやらう』
S君『おいおい、君、先きへいて、乗る電車判るか』
『判るよ。道頓堀へなら一人でも行けるよ』
『田舎のやなあ』
『今日は民衆デーだから、一般の市民通りごく康く遊べる標準に従ひ度い。だから食べるものも高いものは食べない、その積りで案内して呉れ』
『ほたらここや、ここがたこ安といふ店や』
『早いなア。もう入るのか。おでんやだね』
『こつちやでは關東だきといふのんや。なに喰ふ』
『なに喰っていいか判らない』
『ほたら、これくてみい。うまいやらう』
『むにゃむにゃむにゃむにゃ、何かの脂肪だね』
『鯨のあぶらや。ころといふのんや。章魚喰て見い。ここの名物や』
『むにゃむにゃむにゃ女が入って平氣で喰べてるね』
『大阪は女が喰物屋へ入るのは平気や』
『もう判った、出よう。今気がついたのだが、この道頓堀を曲つた角から一町内の店並、食物屋と装身用品点許りのようだぜ、君端からさういつて呉れ僕書きとめるから』
『よしや。ゑゑか、角が菓子屋だぜ、次が關東だき屋次がかまぼこ屋、次が饅頭屋、次が半襟屋、次が眼鏡屋、次が鮨屋、次が辯天座芝居や、次がネルや、次が洋傘肩掛や、次が袋物、次が半襟や、次がかまぼこや、次が帯や、次がもすりん友染や、次が東京袋物や、次が呉服や、次が半襟や。次が毛布メリヤスや、次が婦人小間物や次が和洋雑貨や、次が帽子や、次がすしや、ああしんどい』
『ああしんどやといふのは何處だ、何を賣ってるのだい』
『阿呆かい。ああしんどいといふのは疲労れたといふ大阪言葉だ。店ぢやあらへん。わての事や』
『わての事か。は、は、は、は、は。處でこう書き止めてみると、やっばり食物やと裝身用品店許りだ芝居が一つと眼鏡やだけ挟まってるのが、さうでない許りだ』
『惜しいなア、一寸のとこやがなア、芝居とあの眼鏡屋除けたいなア』
『大きな聲をするなよ聞えたら向ふで怒るぞ。こつちの統計を揃へる為めに、商賣を片付けられてたまるか』
『そりやそや、ほしたら芝居やはんも眼鏡やはんも愈々盛大にやんなはれ』
『道頓堀のこの軒並の現はす傾向から考へると人間が最卒直に最普通に充たさせようと思ふ欲望は喰ひ度い着たいの二つだね。それでお芝居と眼鏡やさんがあるから、その次ぎが見度い慾望と、かういふ事になる。これ道頓堀の人生哲學だ。おや、S君どこかへ行ってしまった。やめ、君、どこへ行ってたのだ。そしてその手に持つてるのは團子ぢやないか』
『これやろ、買うて來た』
『變だね。どういふ譯だ』
『いや、今日はなア、廉いもの許り喰ふといへば、先づ関東だき、これはさき喰た。またこれから先きもすし、しるこ、うどん、まるで園遊会の模擬店の出來損ねや。模擬店早うしまはにや、うまいもの喰へへんそやよつて早う喰はしてしまうのや。團子の試食は一本だけにせえ』
『ぢやまあ喰はう。むにゃむにゃむにゃむにゃ』
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