昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔十五〕』の内容になります。
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新興都市の新らしき耳は何か? ラヂオ!然り、ラヂオであらねばならぬ。
大阪朝日新聞社の無線電話室をT氏に案内して貰ふ魚形水雷の形をして黄金の光を放って居る蓄電管。機械の鏤まれて居るさま恰も蟹の胴中を長方形に切断せし如く而もそれを大きく押し立てた三つの発信機。厳めしくて複雑で、科學そのもののやうで、説明を聴く勇気が出ない。面倒な物理学の試験問題に出会した時の不勉強な生徒のやうに、ただ默ってお辭儀をして引退かうとした、
するとT氏『ぢやこれなら見ても面白いでせう』
と化粧品が並んでる盆を一つ差出す
『ラヂオの女技手のお化粧する道具ですか』
と訊くと
『さうぢやありません。これは化粧品の古箱を利用して少女が拵へた無線受話機です。よくご覧なさい』
T氏はかくいひて盆上の箱の蓋を一々取ってみせた。クリームと練白粉を繼いだ箱の蓋を取ると、中から受話の聲を大きくする仕掛けの真空管の電球が顔を出す。はき白粉の蓋をとると、電波を調べる同調器が顔を出す。蓄電機がクリームの空壜、電波のもつれを整へる機械がおしろい下の容器の中、その上懐中鏡まで立ってる。
『どうもいい匂ひのする無電機械だ。そしてこの機械は本当に使へますか』
T氏『さうですね。市内くらゐは役に立ちます』
これはいけない、おうい大大阪の男共! 氣をつけろ! 諸君の戀人の室の中に化粧品が並んでたら一々蓋をとってみろ化粧する振りをしていつ知らぬ間に仇し男と電波を同調させて居るか判らんぞ、世の中は文明なる程、気の揉める事だ。検分し終りて、大阪の顔に受話器の耳を描込む。
『S君、大大阪の似顔も曲りなりに出來た。この顔はまだ目鼻だちも揃わず、顔の道具も新舊、完不完、がタピシしてる。けれども落膽する事はない。大大阪は前途を持ってる。成長する素質を持ってる。僕は市中を歩いて、気配でさう霊感した。で、その感じをこの描上げた顔に向かって餞けに送り度い。君、聴いて置いて大阪の逢ふ人毎に傳へてお呉れよ』
『よつしやいうてみい』
思ふままに顔をかしげるなり、
曲りくねらせろ、
さあ お前は欺き了す事は出來まいよ、私はお前の完全にして損はれない豊かさを
吃度見る。
『これはホヰットマンの顔といふ詩の中の詩句を勝手に拾ったものだ』
『そないな事をしてホヰットマン怒りやせんかいな』
『成長を祝福する事に使ふなら、おやぢ詩を逆に並べられても怒らぬだらう。扨似顔は描上がった。低務は済んだ、S君いろいろ有難う。で、何かうまいものを喰つて清く訣れよう』
『何がええ!』
『何がといつたつて、汽車賃をひくとあと一圓二十錢しか残らない』
『よつしや。大阪といふ處はな、どない廉うてもうまいものの食へる處や。引受けた』
かくて二人は夜の心斎橋通りを行く、
『ゆふべは大阪倶楽部と清交社倶楽部とで過ごして大に紳士的だつたね』
『ない思ふた』
『大阪俱樂部の椅子と電氣立てが氣取ってたね。ウエストミンスター寺院のカンタベリー大僧正が坐りさうだつた清交社の方はあれで揺れれば六千噸位の欧州通ひの船中の感じだ』
『ほう來たぜこれがおしるやや、入ろう』
町角の狭い庇の下を油障子で二方圍つたいとも小さい店、店内暗い床几に客は膝を喧嘩させ乍ら無言汁の音許りツウイツウイ。
『やあ白味噌のお汁の中に章魚の足が入つてら、ツウイツウイムチャムチャ』
『ここのうちはおしる許り飲みに入るうちや』
『いくらだい』
『一杯八錢や、廉いやろ』
『それで安心した。』
かくて表へ出て額の汗を拭いてS君と握手し乍ら
『馬鹿野郎、東京へも遊びに来い』
『阿呆よ、近いうち又来い』
大阪の馬鹿野郎は東京の阿呆を一圓タクシーといふ踏み潰したやうな自動車に乘せて呉れた。何處までも一圓だとは廉い。けれども一寸とめさせて煙草を買ひに降りたら、降りたらその先はまた一圓だといふのでもう錢ない梅田まで歩く。(完)
筆者曰く、投書をもっていろいろ申越された方に謝す、
中にも歯科醫の森岡氏より大阪君の歯並びについての専門的注意、丸K氏より阿倍野火葬場への案内申込みは特に叩頭す。
大大阪君似顔の圖 - 完 -
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