昭和5年(1930)に出版された『スポーツと探訪』に収録された『 大大阪君似顔の圖』(著:岡本一平)を翻刻した内容をご紹介します。
『大大阪君似顔の圖』は、あの岡本太郎の父親、岡本一平が大正14年の大大阪発足を記念して書いた、大大阪の街の名所や名物を似顔絵のパーツにして紹介する挿絵付の文章です。
こちらは『大大阪君似顔の圖〔十四〕』の内容になります。
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下大和橋を過ぎて、道頓堀の泥川、宿やの裏の二階から長松の育つたやうな田舎の團體中の子供が見下ろしてる。
こつちで萬歳しても都慣れないか、萬歲しない。
日本橋
相生橋、右宗右衛門町、左道頓堀、
食物のにほひ、
太左衛門橋。
カフエのウラ、文明がチラチラ河面をのぞく。
ちよいと見えて消えた芝居の櫓、
流れて来るもの罐詰の空罐、西洋人参の葉。
水の流れものもハイカラ
戎ばし工事中、假ばし
新戎ばし
大黒ばし
深里ばし、倉庫地帯。
積んだ荷物は綿俵、船べりも沈んでせつなさう−!
肥った中年のおかみさんのやう。
住吉橋。
モーター・ボートのみよしに藁ごみがつき出す。
幸橋の上で手曳車をとめてその上へ載って曳手が煙草をのんでる。
汐見橋
板や、材木や、
船が多い、ややこしいぞ
日吉橋
他人の船べりで生活しているいかだ師。
何故なれば彼は他人の船べりへ竿鈎を打込んでいかだを進行させるから。
第三福壽丸、八幡丸の間に挟まって
わがボート、立往生。
左、設計師が情死のロマンスを遺した大正橋。橋脚なしの橋だ。橋脚なしと情死と何か関係があるか。
木津川を見通す。
『船八百艘、帆柱八百本、あるある』
北へ向かって行く。
廣い川の交叉點。
瓦斯会社の怪物。起重機。
『ベラにごみがかかつた』
『ベラとは何だ』
『ボートの推進機のこつちや』
しばらく浮草のボート
傍を『ざうく、ぞうく、ざうく、ぞうく』
蒸気が通って
『あふりを呉れるのは有難くない。』
『ベラが少し直った。ゴー、ヘー』
岩崎橋。
右岸錨や、西洋錨、鎖さまざま。
モーターまたパンク
『後から船來たせ、當るぜ、ソラ當つた。』
珍らしい蝙蝠一疋、もつとも岸の柳はもう緑をかなり準備してる。
千代崎ばし。
いろは肉やの時計臺のイルミネーション。
『堀江へはいかれやへんぞ』
『やめとこ』
ボートまた、パンク、再三曳船蒸汽の脅威。
荷上げの錆びた鐵板の色と荷夫の肩肉の色。
送り状を舟から舟に渡すにそれ用の手綱が出来てるのを見付ける。
北へ曲る、夕陽を背
洲崎橋
玉造橋
左側、並んだ柳、はしる電車、
鰹座ばし
白髪ばし
橋上の子供唾吐きかけんとし睨んだらよした。
問やばし。材木河岸。
富田屋橋、宇和島ばし、
橋詰に廣告看板の集中。
船のかみさん子供に向ひ
『陸行きな、危い。やみやめ』といつてる。
陸では『川へ行きな、危ないやめやめ』といふのにね。
電車の橋
四つ橋
北へ曲る。泥川、臭い
かんな屑の浮島
助右衛門ばし、黄昏迫る。河岸でごみをやく火、心にしみる。溝より流れ出る硫酸の青い水の臭ひ、メランコリーの神経に痛い。
棺桶に縄がかかったような箱が流れて来る。
薄暮よ。哀愁よ。
たうとうとうボートがベラッちやつた。
河岸の乞食さんに
『その竹一本貸しておくんなはれ』
といふと返事
『返さんでもいい。やるワ』
乞食さんに頂いた古竿で文明のボートを漕いだがはかは行かぬ。
とうとうと舳の縄をS君他の船を傳はつてひき出して
『これではまつたら貧乏籤や』
荷船の船頭『ハ…』
進退谷まつたところが
笹橋
で大阪君の顔の鼻と唇をつなぐ線即ち鼻唇線の溝を道頓堀の泥川にする。
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