釣の呼吸(大正14) 潮界の釣と潮加減

釣の呼吸(大正14) 潮界の釣と潮加減
公開:2021/09/22 更新:

大正14年(1925)に書かれた戦前の釣りに関する本、『釣の呼吸』(上田尚著)の中から、今回は「潮界の釣と潮加減」についてご紹介する。


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釣の呼吸(大正14) はじめに
釣の呼吸(大正14) はじめに

大正14(1925)年に書かれた戦前の釣り本『釣の呼吸』(上田尚著)を読むシリーズ。現在にも通じる釣りの楽しみ方から歴史、文化まで。今でも納得の内容で読み応え充分!


潮界の釣と潮加減

一 小さい川口の釣

 何処の川口でも、川水海の水との境界になる所が出来ている。又川でなくても湖水の一端が海に接続する所がある。ここにはいな、すずき、はぜ、うなぎなどが居る。少々寒くなると川水が冷たくなるので、その水の暖い川口近く、川のふな、こひ、うぐひなどが、冬凌ぎに澤山下って来る。それから魚によると海川いづれでもだが、この潮加減や流れて来る食餌がその発育に適する所から、色々な幼魚が澤山居る。又海から川へ上る魚、川から海に下る魚の門戸にあたり、それ等が日々の潮のさし引或は川水の増減や色々の関係から、盛んに来往する譯で、釣としては年中何かしら狙へる。近年は工場倉庫造船所荷揚場などが建込んで、しかも舟の来往は頻繁となり、悪水が流出するので、随分障害もあるにはあるが、それでも潮のさし込まない上流や、川のない港口などから見ると、楽しむ機会は可なり多い。そこで其辺で釣れる魚と水加減との関係を一応頭に入れて置く必要がある。

 川が小さくて水量も少く、且潮のさし引の激しい所では、干潮になると川底まで露出して、膝切り位の流れが幾筋ともなく出来て、ここで何が釣れるかと思はれるが七月頃になると、波打際から、霰が打つやうに鯔の幼魚のおぼこが群をなして、水面をアブアブしながら上って来る。無論府県によって魚の身長 ━口元より尾柄までをいふ━ 三寸以下は禁漁とするなどの制規もあるが、先づ之が釣れる。網も利くが餌づり、いな掛が面白い。潮がさし込んで来ると、本物のいなが入込む、或は小うなぎ、水ぢぬ、柴の葉のやうな鰈の新子、はぜの新子が何時の間にかやって来ている。夕方の上げ潮三四尺にもなると、そのあとから二三年子のちぬ、せいごなどが押かける。橋の上や石垣の岸、兎に角潮のさし込む所まで竿を打込む。餌のごかひは干りに、その辺の川底を掘っても出て来る。川えびでも、蚯蚓でも貝の肉でもよい。夕涼みのお慰にはお誂向きなもので、大潮前後数日、時化模様になるとそれでも大きな當り藻のが、その浅い處までやって来る。水の濁りがあれば特によろしい。

 日々干あがる小さい川でも此位で、これが干ぞこりでも舟の出入のある深さになれば上げ潮には小あぢ、はぜ、うなぎ、いな、あなご、はね ━すゞきの二三年子、東京のふつこ━ でも釣れる。夏は蛸も来る。若し少々川の奥が深くて流れが緩やかであれば、出水後の濁りに夏でも鮒があたる。夜少々静かになって、底の凹みを待てば八九十匁位のうなぎが来る。川が小さいからとて馬鹿にするものではない。泥の底、捨石と砂まじり、それぞれを好む魚の入込むもので、干ぞこりに、釣よき場所を見計って、魚の腸でも、魚油で練った糠団子でも置餌しておけば一層妙味を見せる。それもなければ底を鍬で掘起こしておくだけでも、魚が足をとめる。若し網でも入れられて困るとなると、その妨害になるやうな石ころなどを持出すものさへある。実際五六人も楽んでゐる竿先へ、何の答もなく無遠慮にばつさりやられる位ならば之も已むを得ない。

二 裏日本の川口

 可なり幅の大きな川になると、大分様子が変つて来る。日本海沿岸では潮のさし引が一二尺よりない位で、川の流れが上げ潮でたるむ程度も範囲も少い。隋つて川底が海の中まで突出す所も出来れば、海の波浪で砂を打ちよせるとなるから、水深も浅ければ又淡水が海に入って初めて海水と混和されることになる所が多い。東京附近の如き、川の中が海の延長かと思はれるやうな水加減は違つてゐる。太平洋沿岸でも急流の川口の干潮時によく似通った所が見える。それが川水の増減と、海上の風向による波浪の加減で、川水の海水との混和する程度も位置も変って来る。釣手は常に是等を考慮しなければならぬ。

 川の水嵩が増せば、平押しに沖遠くまで濁流が押出すから無論のこと、平水でも中流は流勢が強く、淡水ばかりかと思はれる位であるが、それでも上げ潮や或は海から波高く押寄せて来る時は、その打返しや押上げで、流れの中心を除いた両側は、流石に海水で塩分が増す。岸に沿った石垣、乱抗などでもあれば、すずきやちぬも入込む。錘のついた引ッ張釣をやるには都合がよい。流水が緩くて、網も一寸入れられなないやう所がよいので、はせなどは古せの四五寸ものが、流れに育つてゐるだけに頗る元気で、白ぎすのやうな引き方をやる。竿も糸も充分丈夫でなければならぬ。山陰線城崎温泉のある円山川口がそれである。いなからぼらに至るまで来るから愈油断は出来ない。冬ならばうぐひがよく當ることもある。

 又防砂の為に相当な規模の波止を築いてある川口 ━越前三國港━ では、一旦海に流出した川水が、波浪に打返されて、波止の外側に沿って、白い濁りを見せて来る。こゝには大きな捨石もあり、波も荒く、餌も澤山で、すずき、ちぬなどは昼夜の別なく底を廻しているから、夕まづめなどには、随分大當を見せるのである。時化の激しい時は、無論困るが、その時はその内側即ち川の内まで川口から波が打込んで押寄せるから、ここでも味を占めることが往々ある。

 又斯る地形が潮加減で、淡鹹雨水よく混和する所は、川口から少し沖合に出た或範囲に亘る譯で、よい凪ぎの日は小舟に乗出して、その範囲を探れば、第一は底にいかつているはぜ、かれひ又きすなども當る。尤も底の浅い所では波が高いのと魚の去来も水加減で変化が多いから、よく経験者に就いて確めては出掛くることにするがよい。

三 潮の干満ある遠浅

 瀬戸内や太平洋沿岸でも、遠浅の海浜に流出する川口では、稍これに似通った所もあるが、そこには潮の干満があるから、之に適した魚の去来と釣り方も変わって来る。牡蠣を養殖する田や海苔の粗朶ある所などでは、既に海といふ感はあるが、潮も甘く、いな、きす、はぜ、かれひなどを舟で攻廻る。大体味は乏しくなるが、大阪附近の何々新田とか、讃岐の何々池などいふいなの養殖場の開期を見て竿を入れることも面白い。朝鮮の仁川の如き潮の干満甚だしくこれにより港口の開閉せらるる處などには、よし川口ではなくとも、そこに特殊な潮界の小魚つりの趣向もあり、土佐の高知の川尻などで、例の傘帆船の風変りな所なども、旅人の興を唆る。外海の荒浪高く或は湖の干満甚しい所では、魚が一旦そこに安住の地を見出すと、容易に去らないといふ点が面白いので、釣者はその地にふさはしい考案によりて何かしら楽むことも出来る譯である。


四 閘門汐止ある川口

 他にも見受けるのであるが、阪神電車の千舟から下車した處にある神崎川の本支流の川尻に汐止がある。あの川は阪急電車の阪神線よりもつと上流の辺まで、潮がさし込む位で、魚もそれに伴って移動するが、その堰下の表裏に足をとめる。上げ潮には表、下げには裏を漁る。鮒いな沙魚きびれぢぬ鱸などが、一つ所で鉤にかかる所が面白い。大阪神戸の築港防波堤では、ちぬつりは夜が多いのであるが、ここでは昼づりが出来るといふのは、この汐止めで水深水質が此魚に適するやうに出来ているからだと思はれる。すぐ近くの新淀川にも此魚の釣場はあるが、汐止がない。併しずつと上流の大堰がある丈に、渇水になると多少は入込む。イヤ鰯まで来るが、其日の汐加減で淡水が増し、魚が浮上つて流れたなどの変調もあるから、ちぬも余計には居着かれないやうである。兎に角汐止のある處は、何処でも少し注意するとまだ何か趣向がありさうに思ふ。

 もう一つ大阪毛馬の水道閘門より下流の、市中堂島川では、ある年の秋の中頃下って来た大鯉が五六本浮上り、はすなどが白くなる程アブアブしたのを拾っているのを見たことがある。これなどは、魚の浮上つた為に潮加減が急に変わってゐるのだらうといふことも分るが、左もなければ、今日は何故はすが喰はないのかと愚痴る丈で済ます所である。水嵩低くとも潮のさし加減にも余程注意して見なければならぬ。一体堰のある所は所要の水量に応じて、之を一時に開閉するから、その下流の水質に急激な変化を起し、それが塩分量の多少が魚体の組織に影響するのか、他にも原因あるかは分らないが、鰯やはすの生活に影響し、又よしそこまで行かなくとも之に苦むやうでは釣れない譯で、夫れが偶々満潮と合致すると斯うしてことにもなるのである。

 所で之と反対に、川水が非常に増して来たとすると、よし潮がさし込むとしても流勢と水嵩とで恰も日本海の諸川の如く、淡水が遠く沖合に押出し、大阪ならば淀大和両川の濁水の瀰漫せる為、堺の水族館の魚類に興ふる鹹水に影響し、神戸近くの海浜で大雨後でなければ足も洗へないやうな細流へ、五六寸の鮎が二つ三つ宛チロチロ上って来れば、神戸港内の米利堅波止場の下水の落口で五七寸の鮒が釣れ、須摩の波打際を鮎の群が迷子になって鰯網に入ることにもなる。斯うした場合は、いつも釣れる鮒鯉の場所は面白くなくて、ずつと川口近く、大阪では木津川辺のうなぎ釣の餌に六七寸の鮒が當ることにもなるのである。

五 釣と潮界の幼魚

 それから話がまた少し前に戻るが、閘門も汐止もない大川で、大潮のしかも時化模様となると、潮は平常よりも、ずつと高くなつて上流までさし込む。無論川魚には一寸面喰ふことにはなるが、鮒の乗ッ込の季節には、これが為、枝の小川から細い溝や洫のおん詰りで、僅か三尺位の深さの所でも大當を見ることもある。又潮の関係のみではないが六月から先になると、本流数里の上流で、鯉打ちの投網に三尺位のすずきが入ったといふことも往々ある。利根本流のすずきなどは、近年東京の老練な釣者がよく弾かけるが、矢張時化模様を見かけて行くといふ調子である。して見ると潮が高過ぎるからとか荒れさうだからなどと贅沢を言ひ否尻込みするよりも、斯うして方面に新境を求むることも遊漁者の試みとしては貴いものになる。

 すずきの序にいふが、九州の或る川で六月中頃釣れた鱸の腹から小さい鮎が出たとこことである。鍋の鰻の餌のみに止まらないのである。鮎の幼魚は潮界で越年し、大阪ならば春の彼岸には、もう築港を出発し、新淀川の長柄の堰下に一番上りの詳れを見受ける。併しそれまでの即ち冬の初めに潮界に下った頃には、まだちりめん雑魚が白魚の兄弟位のもので、或は白魚々々といふ干物の中に、脇の幼魚があるのではないかとも疑はるる位である。イヤ先年敦賀で曳網で小鮎を捕ることを、川の漁業組合から抗議して、県水産の一問題となつたことがある。春先幼魚の魚田を料亭で出すのがそれである。京都の疏水の溜りで育つのは殊に美事である。

 併し私達は夫れよりも斯る幼魚を追廻す他の魚はないか、右の鱸のやうなものが潮界に居るとすれば、釣魚の上に興味が加はる。北海道の西沿岸地方では、浜近い海面で、生鰯の餌で鱒の舟づりをやると聞くが、之が春先溯河する所を、其邊にいる幼魚の活き餌で、川口で待受けて見ては何うか。兎に角潮界の幼魚の群、それと其辺で獲れる魚類との関係などは色々に観察すべき価値がある。幼魚の去来はまた水温水質の変化或は之に伴ふ他の魚の去来を知るにも一寸効果あるものである。又幼魚に止まらず、東京附近の諸川の秋のパチの抜ける大潮時の釣の妙味といつたものが、潮界にはまだ発見されずにあるものがないとも限らない。注意すべきことである。

六 よく釣れる潮加減

 潮界の釣として最も重大なことは、潮のさし引にあるは言ふまでもない。単に舟溜まりとか、袋形の池とかでも、一寸呼吸のあるもので、それがよく入込む川々になると、川水との関係が複雑になるが、中にも流勢が問題になる。元来海浜では流勢が余り影響しないから、釣る上にも趣は異るが、川では流の順逆がよく呑込めないと随分無駄骨を折らなければならぬ。一体潮が引いて川水が流れている時は、水も浅く、隋って魚は深みの落くぼみの流れの緩やかな所に潜むのが多い。これも魚によりては喰はないことはないが、それは淡水魚に限ることで、潮界を好む魚では喰ひが悪い時である。

 それが愈々潮が込み始めると、流れが漸次ゆるくなる。水嵩も増して来る。さてその緩みかけから、魚はぼつぼつ其あたりをチロチロ廻り始め、愈々水が逆流する頃になると非常に餌付がよくなって、中流がよく目立つは頃は、岸近きかけあがり、それが早くなれば蘆の根元がよいことになる。小魚のみでなく、いなでも強く中流に竿を打込むよりも流れの少々ゆるく見える所に味が見え、きびれちぬの如きも深みよりも杭の出鼻のやうな稍影になりさうな所がよいとされる。併し潮が平押しに押上げて来るやうになると、魚の移動も激しくなって、忽ち其上りばなの道を見失って、調子が悪くなるものである。それが八九分まで潮が満ちて来ると、流れがたるむ。弗々形がある。愈々満潮となると所謂潮ぶくれで魚は各方面に散って芦の中まで入込み、かばかばするやうでは喰は止まる。

 それが、すつかり行止まって来ると、水面からそろそろ潮が下げ始める。大ものはこの時が最も有望で、すずきでも鯉でも當りがよい。併しそれも上げ潮と同じく盛んに下げが見えると、漸次喰はなくなる。魚はもうお腹が膨れて帰り仕度と来る時である。所でそれが愈々元の深みに落着かうとする所を狙ふと、こゝで又一しきりよく當る。して見ると魚の當るは、上ッばな二三分まで、上ッさげ、下げの、もう八九分に来た所即ちしぼり込と三つの機会がある譯で、盛んに潮の流れる時分は上下共都合が悪いことになるのである。尤も魚の種類と川の様子と釣り方によりては、その流勢にも多少の手加減を要することは言ふまでもない。殊に大潮の勢ひ込んで来る三四日が川口及びその影響ある川筋の釣として最も有望な時であるから季節々々の魚に対し、特にこの機を逸してはならぬ。

潮がたるめば、魚もたるむ。
たるみはベラの釣れる時。
播州垂水はベラの名所。━須磨舞子間

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