大正14年(1925)に書かれた戦前の釣りに関する本、『釣の呼吸』(上田尚著)の中から、今回は「川釣と水加減」についてご紹介する。
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釣に出掛けやうとする者として先づ頭に浮ぶことは、今あの辺では何魚が釣れるか、何魚が釣りたいが何処の川に行けばよいかといふことである。魚は大体水源から川口に至るまで、それぞれに好む處に棲み、季節や産卵の都合で上りもすれば下ることもある。地方によりては上流に居るべきものでも随分下流に棲むこともあり同じ場所でも天気模様で浮きもすれば、沈むこともあり、瀬にも乗れば淵に潜む。夜と昼、水加減によりては又それが変る。殊に吾々が空気に於ける如く、魚の水の変化に対する影響は多大なもので、其日の釣として最も注意すべきは水加減である。水加減によりてはよく釣れるもし、釣れないことは、竿を手にした人は多少共分るこではあるが、少々でも楽みを多く深くする機会を作らうと、色々に考察研究するには、夫れだけ水加減と魚との関係を知らねばならぬ。
今あの辺では何が釣れるかといふことは、その川の水源から川口までに達する間の或一点に於ける魚族の分布を知ることである。大体全流域に於ける魚族の分布は山間の水源より、いはな、やまめ、ます、あゆ、はや、うぐひ、こひ、ふな、うなぎ、なまず、いな、すずきなどの順序になる。いはな、やまめは山間の水源近くまで上り、清冽な水で岩石多き所に棲み、ますも之につぐ所まで毎春四五月頃に溯行して来る。鮎も私の知つてゐる川では鱒止めと称する急淵よりも更に上流の鮎止まで上るが、普通は山間よりも稍暖かく且水が美しく澄んで水量も多く石の多い所に居り、うぐひは小石が砂となり、砂が泥になる辺までの瀬でも瀞でも淵でも居る。又鮎の居る所ならば大抵上る。水源が山間でなくとも上ることもある。何れかといへば少々流れのある所を好むが、こひは泥砂の底で、自然濁りを帯び、流れも緩やかな所、ふな、うなぎ、なまづはその稍浅い所まで上ってゆく。いな、すずきなどは川口から全く海水の入込まない所までも上る。せいごなどは七八里も上ることがある。こいでも砂泥がある深い淵ならば、あゆ、うぐひの居る所までも行き、うなぎによりては、それこそ鰻上りで、八ッ目鰻は瀧上りもやる。また寒い國の清冽な水の石底ならば、やまめが川口近くまで下つてゐることも珍しくない、そこはその季節又は地方或は川の様子によって識別し得るのであるが、分布よりすれば右の如くである。
川の水平といつても厳密に言へば、日々の水の増減を幾年か平均したものになり、それが雨量が多かつたり、河川改修で水捌きよくなり、灌漑用水、水力電氣などに使用されなどして、増減にもそれだけ差異を見るのであるが、釣者として見る平水は、其季節の水の増減と清濁とを見る。即ち減水と共に水が澄むだ数日間をいふのである。水量を見るのは常に出漁する方面の杭、岩、沈床など、何時も不動の物体を標準にして増減を知り、水の清濁も目測である。
そこで平水時に於ける各魚族が、どんな所に居るかを確める。分布区域は単に其大体を示したもので、魚の常棲する範囲は今少しく詳細に知らねばならぬ。同じ鮎でも、岩石のごろごろした激流を力の限り溯行するものもあれば、下流の瀞で、丸でうぐひのやうな、のッぺりした体形で、一生を終る意気地なしもある如く、短距離の流域の中でも、色々に居所が変つてゐる。
即ち瀬がしら、汀近い浅瀬の魚は小さく、中流域は石の荒い處の魚は元気で大きく、瀬の迫った落口などもさうであり、瀬脇或は沈床の流れの下手裏にならうとする處、或は瀞になると、稍元気の衰へた魚が多いとかいった譯で、蚊がしら鉤で釣った魚と友釣の魚とは、比較して見ると何処か変つてゐるやうにも見える。川の上下流の魚では体形が非常に変り、居所にも幾分濃密の度が変るかと思はれる位である。
又瀞でも砂のむくる所、石の少い所には鮎が少く、瀬の中でも魚の好む水垢の多い所には魚が足を停め堰下などは上り兼ねて魚が密集する。流勢の強弱などは、ここには余り影響しない。併し鯉ふななどになると、或程度の水深を要し、流の緩くして、余り明るくない所ほど大きいのが棲み、それが食餌の関係で流のある所にもやつて来る。鰻や鯰になると、食餌のある所ならば、流れの強弱や水の清濁を構はずして穴居することもある。兎に角穴居するものは別として、多くの魚は、棲みよく食餌も求め易い所を探んでいるから、その習性を知り其日の天候と水加減とにより、その場所 ━本書「庭の調べ方」参照━ を確かめてかかれば、凡そ當りを見るものである。よし直に當らなくとも、特殊な原因なき限り、一日の中には、そこには幾度か廻り合せて来る。之を待ってもよい。
水清ければ大魚棲まずといつても、除外例はいくらもある。鮭の産卵期に清流に遡河し、鯉が鮎の棲む淵にも潜んで、渇水時に網で大漁することもある。秋の鯉は水澄晴天を選ぶ位で一様には見られない。そこは透明度光度底質水深水温求餌産卵など色々の原因が伴って来るのである。釣も色々に工夫しなければならぬ。
単に清濁関係から見た釣魚としては、先づ其魚が清濁何れを好むかといふことから考へて見る。鮎は日本領土内には多少共居る。尚満州から、まだ実地は見ないが青島涼水河といふ細渓にも居るが上海の如き濁った川にはいない如く、内地でも濁った處には棲めない。その又棲んでいる川が濁ると非常に魚は困る。なるべく澄んだ水流に移らうとする。
私の知つてゐる越前九頭龍川の五領ヶ島といふ所は、流れが二分されて約一里半ばかりで又合流している。本流を表川、分流を裏川と称してゐるが、雨後の減水時には、先づ其裏川から流入する灌漑用水の一川から友づりが始まる。次に裏川で三四日も釣れて後、表川に竿を入れる。その流れの緩急深浅水量によりて、裏川の方が早く澄み無論石の水垢も早く生ずる。そこで濁流で押流された魚の所謂差返しが、先づ裏川に入込むので、一時賑はしくなるのである。
又北陸線丸岡駅の東北約一里で長屋といふ村の地字天王といふ地点は、丸岡の町 ━同駅より東方約三十町軽鐵がある━ より発する平野の里川で、流域約二里余水幅三間位の田島川、東方数里の山間から出て来る水幅四五間の竹田川と合流する所であるが、夏の平水時には、前者の泥底で浅く暖く稍濁っているのに比し、後者は湧出量の豊富な清水を加へた稍冷く且深い川である。そこで右二川と更に合流した地点との清濁が三色になって、棲む魚が自然に分割されているが、出水となると、水量多き竹田川の水が田島川の方に逆流して来る。又山奥が降雨せずに、其附近に降雨を見た時は田島川の濁りが合流点に押出す。其間清濁により色々な魚が移動し、それで水深水温流勢などの関係と相まって、今日は竹田川、明日は合流した下流、次は田島川といふ風に釣る。
即ち田島が濁るとうなぎ、なまづ、右の逆流では待網でふな、鯉、うぐひ、水が澄始めると、うぐひの流し釣をやる。その流し釣は、先づ竹田川の本流で、前記の豊富な清水の流出する細流の藪下、それから本流、次に合流より下流、或は其下流でも掘割った灌漑用水車のある川或い清水の流入する地点、すべて水の澄み加減に応じて其日の釣場所を変更する。これが面白い。しかも同じ鰄でも出水二三尺位までならば、濁ってゐても、引ッ張づりになまづやうなぎと共に當りを見る。春先の上り魚がさうである。であるから、そこに釣り方も考慮しなければならぬ。
尚清濁により、魚の棲む水深の程度或は餌に対する視覚に影響することは、釣る上に最も注意すべきことで、そこは本書「釣は魚から習ふ」の「魚の視力と釣」又は各項或は実地各魚に就いて適切な観察と方法とに依るべきであり、又濁水中の含有物による魚の呼吸困難の程度によりて下江する模様などが分れば、それも考ふべきである。少くも之を嫌ひ或は之を好むか位は一応各魚に就いて其程度を知るべきことである。
夏から秋にかけて、色々な原因から川水が非常に減ずることがある。水の緩やかな深みを好む魚は、それだけ居所を局限せられ、食餌も乏しくなる関係上、釣者として狙ひ易いことがある。なまづ鯉などは誠に都合がよい。併し鮎は周章てて上流に遡り或は深みに潜む為、友づりの河童連に愚痴られ、うぐひは目ざとくなって穏やかな水面では釣れなくなる。大体減水と共に水の澄むことは、運動の活発な魚を釣るにはしないことが多い。
それが小雨でもあって、水は少々濁り気味となり、水嵩も幾分増したなると、うぐひには理想的で、大抵の魚は、鮮づきがよくなり、何等かの方法で釣ることが出来る。奥山の夕立で、二三尺も急水が出やうとする少し前には、濁りの来るまでに、まづ泡立つて水嵩が増すことがあるが、斯うなると鮎やはやなどは一斉に競って瀬に乗って来る。釣者は此の大漁に気を奪はれて、急水に押流されるのであるが、友釣りは実に妙である。本濁りとなって魚が流されれば、減水の魚の差返して上る時が面白い。鮎の棲む流域の中下流の釣の好機会である。
又鯉ふな、なまづなどのぶつ込み即ち錘付の庭づりでは、二三尺の増水に、春夏の頃味を見せる。上り魚は元来岸に沿って行くが、出水時にも岸近いかけあがりの存外足場のよい所でも當る。この出水を待構へて、餌の蚯蚓を堀り糸を取出すにも気が急かるる位で、昼でも大鰻が釣れ、延縄を入れるのも此時である。三月の鮒の乗ッ込、四月の上り鯰、五月の鯉、六月のうなぎは小出水の書入れである。無論地方と川の様子によることは言ふまでもない。又斯うした川筋の減水時の辺地は蟹が活躍して庭づりが困難となり、魚は自分の住みよき所へ中流を下る。下り魚は大抵中流に出るものである。釣にくい。
大出水は川床の浅い所では瀬が変る。飛鳥川の愁歎は釣者の常とする所で、川床の深くて岸の高い川では、曲り角の流れの突當りが崩れるとか、浮流物が引かかるとかで、魚の居所に異動を見る。さて、愈減水して来ると何処がよいか素人も黒人も分らない。鮎はそれぞれ水垢のよく生ずる底の石と流勢とを突止める。ここにあぶれど大當りとの悲喜劇が演ぜられる。又瀬に余り変化のない所では、うぐひならば平水時の位置よりも、上流の浅い所の流勢を見て餌を落し、翌日は又減水に伴って魚の深みに移るを見計らって竿を打込む。大抵の魚は減水に応じて魚の居所は深みに移動する。又鮎の如きは上流に差返すから、その習性を利用して釣手も位置を変更するのである。これには流勢清濁底質岸の掩蔽物の有無などを考慮に入れることも忘れてはならぬ。
海では暖寒両流の活躍衰微によりて、適温の魚は活躍し、否らざるもの適温の方面に移動するか或は深みに入りて休眠する。湖水でも夏秋の頃の暖い水を好む魚と冬から春のかかりまでの冷たい水を好むものとあつて、その活躍の範囲或は水深程度に変動がある。川では海湾湖沼は異るが、水温の影響に至りては頗る大なるもので、鮎が夏の土用に入ると上流に上り切りは或は淵又は物陰に潜むのも、やまめが深い谷の清水の湧く所までヒタヒタ上るのも其関係が深いやうである。しかも極寒になると其やまめが里川の網にも入ることがある。季節による魚の移動に水温関係を無視することは出来ない。
これは其魚の種類に適した水温を測定する必要を見るのであるが、私はまだそれに関した確な調査をしていないから標準も分らない。併し其土地の川筋の様子によりて大体の見當はつく。周防の南に流れる川では、やまめ属の魚は二月に入ると雪のある山奥に上って行くが、越前の川々では山に入らうとする川筋の谷川の落口などで三月の彼岸前後に蚊がしら鉤にかかる。鱒の子よりも少々上りが早い。大阪築港辺で育つ小鮎は、彼岸一二週間前から上り始めるが、越前安居川では彼岸過ぎ頃から上る。漁夫は何山の雪が少しでも禿げると何処までそれが上るとか、多年の経験で大体は分るのである。これが朧気ながら水温と魚との関係を説明している。その川の様子に通じた漁夫ならば大抵のことは知つてゐるもので、少し熱心にやれば人の気付がない時期に面白い釣が出来る。
鮒の春先の乗ッ込でも三月中下旬では、雪解水の流出で、折角釣れ出した魚が、又深みに落ち又は返って影響なき細流に入り、九月の下り鮎が盛んに上流に差返すことがある。斯うした時分の水温と魚の移動関係が中々面白いものである。又うぐひの話であるが、前記の竹田川本流が冷たくなると、魚を取あへず、田島川との合流点の下流に下る。又本流増水の為田島川に逆流して来ると、山奥から下った魚が其川に入込み、しかもそれまで暖くて濁りのあつた川が、水は澄む餌はある。それに本流よりも暖いとなるので、天気のよい間は減水しても足を停める。斯うなると魚は田島川の流域約一里ばかりと、合流点の下流が賑はって来る。それが霰でも降ると驚いて一両日で下つて了ふ。
もう一つは、その合流点より約十町許り竹田本流を遡つた地点の、例の清水の豊富に流出する水幅約一間余の流れで、日當りよく藪下の洞窟になつた深みには、霰が降つても魚が居る。 ━成魚は見ない━ 水が本流より暖くて、餌もすぐその上流で里の女の洗ふ菜ッ葉や飯粒などが流れて来るので足を停める。私が川釣を研究するのに、うぐひ程面白いものはないと思ふのも、実は斯うした地点一里半程の間に前後十数年間日夜色々な機会に接した賜物だと独り喜んでいる次第である。参考にいふが、合流点附近一帯は岸が概して高く、殆んど川床一杯に水が流れてゐる。そして合流点より下流は水も深く緩やかで、淵には水底に清水の湧く所もあり、秋冬に鯉ふなの夫れに集団するらしいと気付いてる所もある。
水温で尚影響あるのは、寒風の吹く折の水面の釣、蒸暑い雨前の東南風などの吹く庭づりなどである。日あたりの良否或は寒暖の差ある水の流入の多少によって其下流の釣、潮の干満を受くる水流のことなどで、いづれ別に何処かで説明したい。
魚の分布状態より季節産卵による移動。水の流勢清濁深浅増減水質水温底質隠蔽物など、色々なことが川釣の各魚に影響し、それが地方及び川の様子によりて変化する。殊に鉱毒や特別な工場の悪液流入或は厳禁されている毒流し、爆薬投入などから部分的影響を受くることもあり、単に水加減といつても複雑したもので、僅々堰の開閉のみでも魚を釣る上には、直に関係を及ぼすのである。甲の川でよいから直に乙の川にも適する譯には行兼ねる。殊に近年の魚族乱獲と河川改修とによる減少は大したもので、釣者も之に対して色々に考察研究してかからねばならぬ。併し一種のうぐひに前後十数年親しんで尚飽きないことは、そこに創造的な趣味として研究しつつ楽めるからである。量の多少よりも質の精良、趣味の豊かなものとして川に臨みたい。しかも水加減と魚との関係が其重きをなすとすれば一段の研究が望ましい。
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