釣の呼吸(大正14) 風壓の利用

釣の呼吸(大正14) 風壓の利用
公開:2021/09/20 更新:

大正14年(1925)に書かれた戦前の釣りに関する本、『釣の呼吸』(上田尚著)の中から、今回は「風壓の利用」についてご紹介する。


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釣の呼吸(大正14) はじめに

大正14(1925)年に書かれた戦前の釣り本『釣の呼吸』(上田尚著)を読むシリーズ。現在にも通じる釣りの楽しみ方から歴史、文化まで。今でも納得の内容で読み応え充分!


風壓の利用

一 懐かしい風の神

 釣には風を禁物としてゐる。それは風が強くなると、竿の使ひ方や糸の捌き或は浮木の動き方の見分、海ならば舟づりの呼吸などに色々な不便障害を感ずるより起ることであるが、本来は風の少々ある方が魚も活躍し、釣る上にも非常に妙味のあるもので、これを利用することによりて、反って倍層の興を添へることにもなるのである。

 どろんとした無風静穏の時は、海上では帆といふ帆は垂れ下って動かない。全く湖上の静けさで、陸上から小鳥の囀りまで聞えて来る。川面では、朝の内などは水蒸気がほんのりあたりを掠めて、蟲の水すましが、毛すぢのやうな曲線で、朝日のさし込む水面へ、しきりにいたづら書きをやって居る。斯うした時分には魚がよく餌づくか何うか。一体魚が起きてゐるか寝ているのかも疑はるる位で、稀に當る魚は馬鹿に神経過敏で喰込が悪い。物陰から抜き足さし足で竿を入れ、立小便の音まで気兼ねしてからがこの有様、さて斯うなると風の神が一入懐かしくなって来る。

 何処からともなく、軽く軟かな風がわたる。川面には網の目を引くやうな漣が次から次から立って来ると、そのチラチラする波紋は、水中を通して綾となり影と動いて、水底にまで何といふこともなく薄暗いゆらめきが伝はる。すると今まで杭の根元や藻の陰に潜んでいた小魚が、チロチロあたりへ浮かれ出す。夢見ていたやうな深みの大魚も、物陰に沿って瀞に泳ぎ出る。瀞の魚は瀬に乗って来る。昆蟲が落ちて流れる。魚は競つて水面に飛出して之を漁る。竿の影が少々動いても魚には感じない。あたりが騒がしくなれば、からから笑っても差支ない位になって来る。釣手は、そら来た又来たと入れ引きに釣上げる。風は有りがたい。

二 風力と羊の打込み方

 はやを蚊がしら鉤で瀬づりする時などは、少々下手にやると風の為に糸を縺らすこともあるが、又これを巧み利用すると、魚を驚かさないで鉤を思ふままの所に打込むことが出来る。世界の釣の聖書コンプリート、アングラーにも風を背にして釣れとあるが、瀬づり流し釣には全く妙である。流れと風と並行する時は無論都合よく、流れの側面から吹く風には、吹いて来る方向の岸から鉤を入れ、風が流れに逆らって来た時は、釣手の体に風を斜に受けるやうにして竿を打込むのである。

 流れと風と並行する時は瀬の中に出るから、その左右何れにも鉤を流し得るが、その他の場合は、釣手は岸近く立って鉤に瀬に飛ばすことになるから、魚と人とは離れることはよいが、左右いづれにでも鉤を流すことは出来なくなる。之を片打ち又は片流しといふのである。これがうぐひの流し釣になると、竿の打込みが非常に面白くなるのみならず、餌のいなごが小波の水面を流れる形が、いかにも自然そのものの動作を魚に示すことにもなり、風にいちびつている魚をして一層勢づけて餌に飛かからしむることにもなるものである。兎に角日に向ひ風を背にすることは竿づりの原則と見てよろしい。

 これにも多少の除外例はある。例へば川沿ひの藪つづき、岸近い倉庫工場裏、断崖の下などは、その対岸から風に向って、餌を投込み、竿を打返して都合のよいこともある。うぐひに度々体験したことであるが、流に巻込や逆流ある如く、しかも夫れが色々に水が流動するやうに、風も何かの障碍物があると、野原を吹通すやうには素直に行かぬもので、そこには風の呼吸とでもいふものがある。之を利用して逆にやって見ると、風裏の魚は存外鷹揚に餌を喰込んで行く。その折の風を受けた糸のたるみなどが一寸外に見られない妙味を見せて呉れる。無論竹藪などは風の呼吸がその竹の葉を動かすことによりてよく見えるから、之を利用して竿を打込む。

 それが置竿となると、強風は誠に困る。流れに逆行した風の日の鮎の友釣などは竿を時ならぬ時に上流の方へ圧しし上げられる為に、囮魚を自由に操縦し得ないのみか、早く殺して了って魚のかゝりも悪く、鮒の如き微かな當りを竿先で見分けて行く引ッ張釣などには風が恨めしい位に邪魔になる。流し釣しもり釣などでは絲が弓なりに風に吹上げられる。浮木では第一水面が光り且風の波で魚の當りか或は波と浮木との振動から来るのかも分からなくなる。これも見慣れると或程度まで當りの分るもので、かいづの昼づりなどでは、斯うした風向を見て出かける位ではあるが、興をそぐことも夥しい。大阪のはす釣などにも之はよし魚の當りを見ても、風圧の為に合せ切れが出来る。是等は実に情けなくなるものであるが、風公には敵し難い。併し風は事に依ると地上三尺位までは這回らないことがあるから、その呼吸が分れば風うらや其巻込巻上げを見て竿を打ち、多少は之を防止し得ることもある。

三 風の裏表と釣り方

 川口海浜又は沖釣になると、晴天には海陸風が正式に吹く處がある。午前十時頃よりは陸から沖へ、午後は夜の九時頃より沖から陸へといふ調子で、又その日の朝夕は所謂朝なぎ夕なぎと来て、頗る静穏を見せる。之を利用して船を自由に操ることも出来れば、夜づりなどは之を潮時と対照して波の打寄せ方によりて釣場所を変更することも出来る。又冬は常風として西が強い處も多いのであるが、この時は前記の如き建築物の風裏などは、他の海面の波騷しい中にも、漣の静けさで、しかも引き潮などには庭の砂まで沖に浚へて行くかと思はるることもある位で、その底の波の打返しさうな斜面に舟をとめると、鰈がよく釣れるとか、いなの早づりなど利くことがある。岡からの投込みも、風に応じて絲を送ることが出来る。潟などの鯔つりに、板の上にお玩具のやうな帆をかけて風にまかせて絲を繰出し、これに股ばりを付けて遠方の魚を釣ることも出来る。下総利根附近の湖沼で行はれる最も興味ある風の利用法である。

 之と反対に沖から陸へ吹く風は少々恐入こともあるが、捨石ある護岸或は防波堤などでは、石に定着する魚の方からいふと、餌となるものが打寄せられて、砕かれたは沈み、それが又底で打返される時であるから、水にも濁りを見せることもあり、存外近く浅い所までやって来るから、漂着物は煩はしいが、釣るには味がある。ぐれの浮木づり、かいづ級のふかし釣などは、昼でも相当形を見せる。時化模様ならば、その波裏になる川尻の岸から、近々三四尺の深さの所で、濁り返した芥の中しかも小潮の真昼時に、ちぬの三四年ものを引上ぐることもある。又舟を漕ぐにも、少々の風ならば、船体の舳先を少し風も外らせて押せば存外進行を早めて力も省ける。白ぎすの手船で出かける時に試みれば直に了解し得ることと思はれる。


四 沖で嬉しい風と釣り方

 沖でも気象でいう軟風が頃合の風力で、静穏の時よりも魚の餌付がよい。舟底がヒチャヒチャの音を立てている時は、船体の揺れ工合が、恰も無風の時の絲の上下動位に匹敵するから、餌の動かし片も其積もり加減すれば、愈妙である。舟は潮の流れの如何に拘はらず、必ず風に向いて進退する。すると潮流の側面或は斜面に舟が動くこともあるから、垂れた絲の手に感ずる振動が変り、魚の當りもそのやうになる。これも先頭に聞いてよく注意すればよい。初心者は手繰り上げた糸を風に吹かれて縺らすこともあるから、飯を済ませた後などの糸の乾いた時は一寸これにも気を配る。

 若し舟を止めて投込み又は落し釣ふかしづりなどする場合は、舟の浮く位置から丁度錨網の長さ丈を風表に漕上りで錨を入れる。そして綱の伸縮で位置を安定せしむればよい。尤も風力の変化、潮流の緩急により、その位置の変ることもあるから、之には常に糸の張り工合や、底當りなどで見分けて行くのである。兎に角海でも風には呼吸即ち随分緩急のあるもので、漕づりの場合には船頭はそれに応じて櫓を操り、釣手をして釣易からしむることに努力するものである。それを釣者が自分で出来る一寸した用事まで命ずることは、甚しく他人の釣る手を狂はせることになるから大いに遠慮すべきである。

 沖では舟を移動せしむるに風力を利用するのみではない。夏秋曇天の軟風ではすずきの流し釣、和風に近い小時化の海面でのさはら釣の壮快なことは、少しく沖に慣れた釣者の最も望む所で、瀬戸内海の釣としては、何としても読むべきものである。風の神は憎むべく恐るべき時もあるが、斯うして利用が出来れば、神徳いやちこにあらたかなものではないか。

ばけの子

ある夏須磨沖で直径二尺許の海月を掬って見た所がカハハギの一種長さ五六分の丸ハゲの幼魚が二百八十七尾も居つた。海月の笠の下で発育するのである(著者のノートから)

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