釣の呼吸(大正14) よく釣れる時

釣の呼吸(大正14) よく釣れる時
公開:2021/09/19 更新:

大正14年(1925)に書かれた戦前の釣りに関する本、『釣の呼吸』(上田尚著)の中から、今回は「よく釣れる時」についてご紹介する。


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釣の呼吸(大正14) はじめに
釣の呼吸(大正14) はじめに

大正14(1925)年に書かれた戦前の釣り本『釣の呼吸』(上田尚著)を読むシリーズ。現在にも通じる釣りの楽しみ方から歴史、文化まで。今でも納得の内容で読み応え充分!


よく釣れる時

一 盛に餌を求むる時期

 魚の大當りを見た時は、如何にも得々として釣者は凱旋将軍の意気を示す。その人が特殊の考案方法に依りて、大當を見てこそ其意気を示すも已むを得ないが、同場所同一方法で釣るものとすれば、何も其人ばかりに大當りをする譯ではなく、一応は誰の鉤にも當るべきものである。魚は決して釣者に対して、それほど不公平なものではない。唯巧に之を合せるか引上げるかによって、数量大小に差を見るまでとすべきもので、釣れる時には天狗も新米もないものかと思ふ。して見ると問題は、その釣れるといふ機会を旨く捉へるか何うかといふことだけになる。魚には釣れる時がある。先づそれが知りたい。

 人間一年を通じて、少しも食欲が変わらずに行ければ、其人は先づ健康体とせられる。併し日々の食量成は嗜好などを仔細に注意して見ると決して一様ではない。又一生を通じて盛んに栄養を摂取する時と否らざる時とある。或はそれに変調を来すこともあるといつた譯で、魚にもそれがあるのである。栄養と生殖否索餌と産卵、この二つの時期場所をよく観察すれば、先づ釣れることは請合へる。

 魚の生活には休眠索餌産卵の時期がある。鮒は寒くなると下流の物陰ある深みに落込んで越年する。所でその防寒休眠の準備として、その以前に盛んに食餌を索めて、体内に充分脂肪を蓄へる。又a暖くなる頃には、産卵期を控へて、胎内の卵の保護発育の為に、求餌すべく活躍する。これが釣として乗込の面白い原因となる。次は産卵を了へると、病上りの栄養を快復する為によく餌付く。花見頃にかれひが太ってよく釣れるのは、夏の休眠期を控へての準備であり、秋冬の間には ━種類により遅速はあるが━ 産卵期に入る為、又冬至頃から大に喰立てるのは産後の栄養快復となるからである。まだ産卵しない未成年の魚は、発育期の子供の如く、色々な食餌を求め、成魚に達する以前、人間の俵外しと称する十七八歳とも見るべき時期には、殊によく喰ふものである。魚によると成魚に達するに数年を要するものもあるが、何れも斯うした経路を辿るもので、中には成魚に達し産卵を了ふると共に死んで了ふものもある。要するに盛んに餌を求むる之を索餌期といふので、魚に依り時期と場所とが色々に変るが、よく之を知ることによりて釣れるのである。

二 釣る人の機會と魚の気分

 魚は斯の如く索餌の利便多い方面に移動するもので、いかなごの次に鰯が来、鰯を追つてはまちが来るのではあるが、釣者からいふと魚の移動に隋つて之を追ふものもあれば、さう出来ないこともある。鮎でいへば、川の流域の下流に居る釣者は潮界から遡って来る幼魚、下って来る産卵後の魚或は海に入りて産卵する鰻を得る丈の機会がある。中央に位置するものは、その素餌の旺盛な遡江中の未成魚と産卵の為に下江する魚とを狙ひ得るが、上流になると愈成魚に達する或期間より釣れないことになる。瀬戸内の鯛でも、産卵期の前後だけ釣れる地方と、その去来する水道附近では再度の待受が出来るといふことになる。上り鰻、落ちぼらといっても、所によりては狙へない。これを色々な方法で、魚の移動と共に之を追って行けば、楽む機会は多くなる。

 白ぎすが何故殆ど年中釣れるかといふに、あの魚は春秋二回に産卵するから、無論其前後がよい。それに水温食餌の関係から見ても、習性からしても、余り遠く回遊しない魚で、其地方に於て、深みに落ち、浅い所へもやって来る。しかも海底には魚に適する砂泥の所が多い関係から、魚の大小多少こそあれ、その釣れる機会が非常に多く且長くなるのである。親む機会の多い魚を狙はうと思へば、斯うしたことを呑込んでいればよい。同時に時期外れの魚を狙ふことのないやうにすることである。

 所で、その釣れるべき筈の期間に魚の喰ひが悪くなることがある。これには複雑した原因があるから、本書の全篇に亘り通読し、更に研究すべきことは論を俟たないが、手近な處で、夏の土用に入ると鮎の沈み釣が駄目になる。之をげし形の蚊がしら鉤だけで解決しやうとする人もあるが、友釣でも面白くないとすれば、之れなどは他にも考究すべきことがあると思はれる。魚は適温以下には存外堪へ得るが、以上には抵抗力が弱い。して見ると水の冷い上流に上るか、或は流勢からいへば、中流或は深い淵の底に潜むより外はない。しかも水温の上昇は魚体の新陳代謝を促して栄養不足に陥らしめ、加ふるに其頃の日光が強烈で、風向の関係からは空氣も透明となって川が明るくなること、殊に日中に於て影響するのかも分らない。夏の晴天続きでは、鯰の如きを除く外は、大抵の魚は不漁となる。若しそれ等が魚の気分に関係するとすれば、曇天降雨或は気温下降や、風向の変化などによりて、初めて自然に解決さるべきことになり、人力では争へないのかも知れない。尤も、そこを色々に観察測定して障害の乏しい方面に鉤を入れるとすれば、或程度まで釣の可能を示すことも有り得べきことと信ぜられる。釣は今日は駄目、明日がよからう、夏がよい、秋に限るなど、軽々しく断定してかかることの必要もない。


三 偶然の百尾より豫期の一尾

 又甲の場所では駄目だが、乙の場所は喰ふとなれば、水質水深底資食餌風圧などの関係から来るのかも知れない。夜と昼との差、朝と夕、魚の被る外的脅威の有無などもある。縄網の入つた跡、休日に釣り荒された翌日なども面白くない。潮の干満する所では無論、その差に於ても、場所を異にすれば魚の喰込に影響して来ることもある。又干潮には喰ひが悪いといふが、海のべらやたこには其潮たるみがよい又水中に発生する微生物が、或る魚には食餌ともなり、光線の防止ともなり、誠に都合はよいが、時としては之が為、或水層に於ては呼吸機能に障害し、反って食欲不進の因を為すことも信すべき理由がある。是等の諸原因が、其日その場所に於ていろいろに障害を来し或は好影響を及ぼすことになる次第である。

 さて斯うなると、実際によく釣れる時は、存外少い譯で、畑の芋を掘るやうには到底行けない。當つた時が勝負だといふことになるのであるが、そこは各自の智能によりて、その時々に適合した観察と方法とにより、他の人の釣れない時にも多くの機会を見出し得ることも少くはない。又之を知ることによりて時間と労力との省略も出来、よし無理に出漁して大した結果は得られずとも、そこには失望倦怠もなく、趣味を汎く深くしても行ける。釣れて面白く、余り釣れなくとも楽みであるといふことは、自分の智能より、是等の諸原因の或範囲程度までを予知し割出した上に於ての結果より生ずることである。唯偶然の機会に於て大當りをしたからとて、凱旋将軍の意気を示すならば、それは俗にいふ新米の初當りと別に選ぶ所なきもので、常勝軍ではないのである。私は一尾の魚を獲るにも、多方面に観察研究し出来得る限り其日その折の釣れる機会を確実に知りたい。これやがてビクビクコツコツの魚の當りを予感し、大當りをすることにもなる。その時を知り、自信ある行動によりて得たる結果は、「釣れた」のではなくて、「釣った」のである。偶然の百尾よりも予期した一尾が嬉しい。こゝに初めて将軍の意気を示し得るのではあるまいか。

たま、たま

「早く、たまたま。「大きいのかい」「なアに浮木が飛んだ」(釣の趣味)

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大正14(1925)年に書かれた戦前の釣り本『釣の呼吸』(上田尚著)を読むシリーズ。現在にも通じる釣りの楽しみ方から歴史、文化まで。今でも納得の内容で読み応え充分!


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