全国遊廓案内(昭和5) 宮城縣

全国遊廓案内(昭和5) 宮城縣
公開:2021/09/02 更新:

このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『宮城縣』に存在した遊廓を説明します。


宮城縣の部

白石遊廓

白石遊廓は宮城縣刈田郡白石町に在つて、東北本線白石駅の南約五丁の地點にある。別に此れと云つて乗物の便は無いが、そぞろ歩きには適當の場處である。人力車で行けは車賃三十錢。

他では大抵遊廓に成って居るのに、茲は未だ昔乍らの宿場である。陰店式ではあるが、建物は古風にくすんで、奮幕時代の様ななつかしい落付きを見せて居る。制度は總て東京式で、娼妓は居稼ぎ制である。遊興は時間制である。けれども廻しは取るらしい。御定り甲が五圓、乙が三圓、丙が二圓、本部屋は各一圓増と云ふ事に成つて居る。此れで部銚子に肴が付くと云ふのだから、餘り高くは無い。茲の御定りと云ふのは多分一泊に臺付きと云ふ事だらうと思はれる。現在妓棲は三軒、娼妓は二十一名居る。藝妓を呼べば藝妓の玉代一座敷一圓六十酸である。妓樓は遊明樓、長春樓、太田樓の三軒である。

大河原遊廓

大河原遊廓は宮城縣柴田郡大河原町字尾形町にあつて、鐵道なれば東北本線大河原駅で下車し西へ約二丁の處に在る。

有名な青根温泉は之の大河原から行くのが便利である。阿武隈川と白石川の合流流域にあるので、水運も便利である。現在遊廓の貸座敷は花月樓が一軒で娼妓は五人居る。店は陰店制で遊興は東京式廻し制である。費用は御定り二圓で、酒肴が附く。本部屋は一圓増し、藝妓は居ない。娼妓はんど宮城縣の女である。附近には、青根温泉、遠刈田温泉等がある。

角田遊廓

角田遊廓は宮城縣角即町にあつて、鐵道は東北本線大河原町驛で乗換へ角田行電車で角田駅へ下車する。

現在遊廓貸座敷は二軒、八人の娼妓が居り、遊興費は一圓五十錢位より五六圓迄あり、客の意の儘に遊興が出來る。店は陰店制であって、東京式廻し制である。娼妓は重に、同縣人及秋田縣人等が多い。

仙臺市小田原遊廓

仙臺市小田原遊廓は宮城縣仙臺市小田原町に在つて、東北本線仙臺駅で下車すれば北へ約八丁、市電は「光禅寺通」で下車し、乗合自動車は「大門前」で下車すれば宜しい。

仙臺は伊達六十八萬石の奮城市で、第二師圖指令部、東北帝國大學、縣廳等があつて、東北第一の都會である。仙臺平、仙臺味噌、埋木細工等の特産地だ。政宗の墓、政岡の墓、林子平の墓、支倉六右門の墓、力士谷風の墓、名妓高尾の墓と仲々墓の多い處である。殊に名妓高尾の墓は、娼妓愛好家に取つては興味深いものだ。編者は曾て鹽原でも高尾の墓標を見た事があるが、仙臺の方が本物であるらしい。此處の遊女は何時から在つたものかは判明して居らないが、可成昔から在つた事丈けは事実である。現在貸座敷は三十三軒あつて、娼妓は三百十人居るが皆近縣の者計りである。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送込みはやらない。時間制で廻しを取つて居る。

費用は家の格式に依って値が違ふ。一等格の家は一時間二圓六十銭、二等格は二圓十錢、三等格は一圓五十錢であるが、二時間目からは、三時間遊んで最初の一時間と同値丈けを増して行く習慣である。言葉を代へて言ふと、四時間遊んで二時間遊んだと同じ勘定に成る譯だ。斯くして二時間目からは、三時間目毎に最初の一時間分宛の勘定が殖えて行く事に成る。例へ一時間遊びでも臺の物さへ通せば本部屋へ無料で入れる規定に成って居る。
税は二圓以上一割。妓樓は一等格では、安積樓、昌平樓、二等格では中正樓、新竹樓、萬龜樓、昌越樓、昌喜樓、昌南度、桃泉、五城樓、中米棲、よか樓、三等では若松樓、新安積樓、菊泉樓、竹花樓、昌三樓、新東樓、昌誠樓、黄金樓、松葉樓、辨悦樓、新中米樓、いろは樓、若不二樓、若安樓、巴樓、住吉樓、東樓、立田樓、寶來樓、繁安積樓、永明樓等である。


鹽釜町

鹽釜町は宮城縣宮城郡鹽釜町字一三町と一○八町とに在つて、鹽釜線鹽釜駅から西へ約十丁、乗合自動車の便があつて賃五錢である。

鹽釜は仙臺の門港で目下築港中である。松島遊廓の客は必ず此處へ立ち寄つて、鬼州一の鹽釜神社へ参詣して行く。食鹽の製造方法を人々に教へた鹽土翁の他の釜を祀ったものだと云ふ事である。松島の絶景を控え、犬仙臺を抱き、新港装の成つた暁には、鹽釜の前途は大いに期待し得るものがあらふ。舊幕時代には仙臺に貸座敷と云ふものが無かつた。從つて有福な武家の青年は、五里の途をも遠しとせずに足繁く善く通ったので、可成繁昌して居たが、今は「市川樓」と「大浦樓」の二軒しか無く成った。宿場に成って居て、陰店を張って居り、娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は時間制又は仕切制で、廻しは取らない。御定りは五圓で臺の物が附きき、一泊が出来る。最低三圓五十錢で遊べる仕組みがある。松島へは船で一時間もかからない。

石ノ巻遊廓

石ノ巻遊廓は宮城縣牡鹿郡石ノ巻町字旭町に在つて、石ノ巻駅へ下車して東北へ約四丁の場處である。

石の巻は北上川の河口に在る事や、昔は船便の要路であつた事や、貨物の集散地であった事等は酒田港と善く似た處がある。葛西氏の奮城下で、城址は今公園と成っている鹿島神社がある。景色の善い事真に絶景である。町の多福院は北畠親房の建てた寺で、境內には葛西氏が後醍醐天皇の崩御を哀悼して建てた碑がある。

貸座敷は目下四軒あつて娼妓は三十五人居るが何れも近縣の女計りである。店は陰店を張って居て、娼妓は居稼ぎだ。送り込みはやらない。客の廻しは取るから通し花は取らない。費用は御定りが四圓四十錢(税共)で一泊が出來、酒二本、料理三品、外に茶菓も附く事に成つて居る。妓樓は、千葉樓、朝日樓、好見樓、青山樓の四軒である。

若柳遊廓

若柳遊廓は宮城縣若柳町にあつて鐵道では東北本線石越駅で岩ヶ崎電車に乘換へ若柳町で下車する。北上川の支流で若柳川に沿ひ、非常に風光の明眉な處で水運の便がよい。

現在妓樓は約四軒、娼妓は約二十人位居るに過ぎないが、秋の紅葉、又は栗駒山の景色に勝れて居るので、近隣より相當の旅人が集ひ寄つて來る模様である。附近の名勝としては、若柳川上流尾松村八幡には源義家が律てた營岡八幡宮があり、近くには駒形根神社、栗駒山等がある。

荒濱遊廓

荒濱遊廓は宮城縣亘理郡荒濱村にあつて鐵道は常磐線の「茨城」との縣堺にある亘理駅で下車し、東へ約三里離れた海岸で阿武隈川の川口に沿ふた地點にある。

阿武隈の清流は之の荒濱に來て海に注ぐので河口は殆んど滿々たる清流に依つて際涯のない感がある。娼妓は重に漁師を相手として居る。現在遊廓の貸座敷は三軒、娼妓約十一人居り、遊廓は客の懐次第で一定してないが、普通御定りは最低一圓五十銭位より五六圓の見當である。勿論東京式の廻し制だ。


古川町

古川町は宮城縣志出郡古川町字役場前に在って、陸羽東線陸前古川駅で下車すれば北へ約四丁、乗合自動車で役場前に下車すれば直ぐである。

古川は元古川刑部氏の城下で、養蚕業盛んな爲めに製糸の取引が多い。人口は二萬に近い町で、町の國道に沿ふて貸座敷がある。元旅館であったが規則改正と共に旅館業を止め、同時に貸座敷業を開業したもので、純然たる宿場である。當時の飯盛女が其儘今の娼妓に成つた譯である。規則改正前には同業者も三四軒あったが、現在では「小畑樓」がたつた一軒残って居るのみだ。娼妓は五人居る店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。客の廻しは取つて居る。本部屋の設備は無い。御定りは四圓四十銭で一泊が出來三時間遊びが三圓三十銭で、何れも御銚子が附く事に成って居る。土地では「さんさ時雨」「おばこ節」等が唄はれて居る。

登米遊廓

登米遊廓は宮城縣登米郡登米町にあって北上川流域の然も流れに沿ふた町である。鉄道の不便な處ではあるが、総て船便に依って用を便ずるので土地の人はさして鉄道の入用を感じてみない様である。現在遊廓の貨座敷數は約四軒あつて、昔から比較的繁華な町であつた事は何處となく昔氣分が溢々して居る處を見ても判る。娼妓は約二十人、遊興費は廻し制で二圓位より四五圓見當である。

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全国遊廓案内(昭和5) はじめに
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昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、当時存在した遊廓を都道府県単位で一覧にしています。

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全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)
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昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、遊廓に関連している言葉の意味を説明しています。(遊廓言葉辞典)


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