全国遊廓案内(昭和5) 兵庫縣

全国遊廓案内(昭和5) 兵庫縣
公開:2021/09/04 更新:

このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『兵庫縣』に存在した遊廓を説明します。


兵庫縣の部

西ノ宮市遊廓

西ノ宮市遊廓は兵庫縣西ノ宮市新地に在つて、東海道本線西ノ宮驛で下車する。市中には乗合自動車の便がある。(驛から西南へ約三丁)

酒の名所で、灘の銘酒は皆此の附近から產するのだ。西ノ宮、今津、奥本庄、御影、西澤、都賀濱を灘の五五郷と云つて、殊に善い酒が多量に出る處である。「灘の生一本」ああ何と云ふ善い響きを持つ言葉だらう。上戸薫に取つては、寝言にも云ふ懐しい言葉である。官幣大社廣田神社があり、西宮戎神社がある。又西ノ宮の海岸は、打出の濱とも云つて、昔神功皇后征韓の時に茲から船出されたと傳られている当遊廓は明治二十年に散娼制がら集娼制と成って現在の個處に移転したもので貸座敷は現在三十八軒あつて、娼妓は約三百五十人居る。長崎、熊本地方の女が多い。店は寫眞式で陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制又は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びは一圓位からある。一泊の通し花は七八園で、臺の物は別だ。十二時迄(半夜)なら五圓位で引過ぎからは四圓である。

神戸市福原遊廓

神戸市福原遊廓は兵庫縣神戶市福原町に在つて、東海道線神戶驛で下車すれば、西北へ約十丁の處である。市電は多門通八丁目、又は荒田町一丁目で下車すれば宜しい。

神戶市は横濱市と共に本邦の二大通商港で、人口約六十萬、日本の三大都市中の一つである。貿易額は輸出は全國總價額の約三割を占めて居り、輸入は約五割を占めて居る。港としての歴史は僅々六七十策に過ぎないが、兵庫としての歴史は古い。上古時代に三韓から貢船の入港したのは此の兵庫だと云ふ事だ。楠正成の討死した湊川も茲であり「嗚呼忠臣楠氏之墓」も茲にある。神戶は遊廓が二個處あつて、一つは福原一つは兵庫新川である。二個處共非常に発展して居るが、福原は地の利を得て居る為いか、新川等は到底足許にも寄り着けない。現在此の遊廓には貸座敷が九十三軒あつて、娼妓が千三百二十人居る。此處の娼妓は長崎縣人最も多い、次は熊本縣、兵庫縣と云ふ順である。店は總て寫眞式で陰店は張つて居ない。娼妓も居稼ぎ制で送り込み制では無い。遊興は時間制だから廻しは絶對に取らない。一時間遊びが二圓、一泊が十圓で臺の物は附かない。

神戸兵庫市新川遊廓

神戸兵庫市新川遊廓は神戸市兵庫新川に在つて、東海道本線神戸驛で下車する。市內電車及乘合自動車の便がある。

貸座敷は目下二十二軒あつて、娼妓は約二百人居る。館本長崎、福岡縣の女が多い。店は寫眞店で、娼妓は全部居稼ぎ献、遊は時間制、又は通し花制で廻しは取らない。費用は福原遊廓と大差無い。或は幾分安い位だと云ふ事だ。

明石市東本町遊廓

明石市東本町遊廓は兵庫縣明石市東本町字新地に在つて、山陽線明石驛から南へ約五丁の地點に在る。明石は松平氏の奮城下で、人口は総四萬、歌聖柿本人丸を祀った人丸神社は今は遊園地に成つて居る。明石城址、明石神社等があつて、淡路島を眼下に見下して景色がよい。明石鯛、明石章魚等が名産。妓樓は目下十四軒あつて、娼妓は百三十八居る。店は寫眞店で陰店は張って無い。娼妓は全部居稼ぎ制で、送り込みはやらない。費用は一時間遊びが二圓で、宵から引け迄は四圓位、引過ぎからの一泊は三圓五十錢位である。臺の物は別だ。

妓樓は、千歳樓、西栄樓、榮棲、遊楽樓、一力、いろは、山本、可祝、金波、錦松、三州、尾西、花月、末廣の十四軒。名物には丁稚羊羹、分大餅等がある。

高砂町遊廓

高砂町遊廓は兵庫縣加古郡高砂町字次郎助町に在って、播丹線高砂驛で下車すれば約一丁の處である。

神姫電鐵「高砂驛」で降りてもよい。明治の初年頃俗に「ソヲカ」と云ふ一種の私娼が遊廓に變化したもので、普通の宿場女郎とは一寸趣が變って居た。目下貸座敷が五軒あって娼妓は六十四人居るが、福岡縣の女が最も多く、次が熊本縣、徳島縣と云ふ順である。店は寫眞式で陰店は張って無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらぬ。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一泊が四五圓程度で、一時間遊びは一圓である。臺の物は別勘定であるが、斯んな安価な處も一寸珍らしい。

娼樓は。初開樓、高砂樓、相生楼、松鶴樓、陽気樓等である。附近には謡曲で名高い「高砂の此の浦船に帆を揚げて」の高砂の浦があり高砂神社がある。


姫路市梅ヶ枝遊廓

姫路市梅ヶ枝遊廓は兵庫縣姫路市梅ケ枝町に在つて、山陽線姫路驛から乗合自動車で約五六分野里停留場で下車する。

姫路には秀吉の築いた名高い白鷺城があつて、五層の天守閣が屹然として空に聳えて居る。今は第七師團の指令部に成って居るが、秀吉が中國征伐の時には此處が本據で、維新前迄は酒井氏の居城に成って居た。姫路は播磨第一の都會で、射楯兵主神社、船場本德寺、景福寺等がある。貸座敷は目下十一軒あつて、娼妓は九十六人居る。店は寫眞店で陰店は張つて無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制又は通し花制で、廻しは取らない。費用は一時間一圓五十銭に税が二十錢引け過ぎなら四五圓程度で、臺の物は別だ。藝妓は居ない。

室津遊廓

室津遊廓は兵庫縣揖保郡室津村に在つて山陽線網干へ下車すれば西南へ約三里姫路驛で下車すれば乗合自動車の便もある。賃金は八十錢。室津は江戸時代に西國の大名が參觀交代の折の船着場で、鐵道の敷かれぬ前迄は交通の要路であつた。從って土地の歴史も古く、千有餘年以前から、室君、友君、宮木、大柄均、小柄均等と云ふ有名な遊女が居たと云ふ傳說がある。而して此處の遊廓には豊臣秀吉、平清盛、德川三代將軍家光等の來遊した記録もあるので、遊女の格式も一段と高く、花魁は禰襠、廣帶、足袋等は古來から其の使用を許されて居た處である。現在は貸座敷が三軒しか無いが、娼妓は三十人居る。兵庫縣の女は少なくて九州の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は御定りが三圓五十銭で臺の物は附かない。短時間なら八十錢で遊べると云ふ安値な處である。

娼樓は愛栄樓、金勢樓、昇榮樓等である。附近には賀茂神社、法然上人二十五霊場第三番浄運寺等がある。

飾磨町遊廓

飾磨町遊廓は兵庫縣飾磨郡飾磨町に在つて、飾磨線飾磨港驛で下車すれば南へ約一丁の處なので、宇治電の便もあるが、態々乘る必要無い。

飾磨港は瀬戸内海に面した港で、絵の様な男鹿島、家島、西島等を眼前に控へた風光明媚な處である。宿場が現在の様な遊廓に成ったのは、判明しないけれども、多分明治三十年頃だらうと思はれる。目下貸座敷が十軒あつて、娼妓が約六十人居る。店の制度は寫眞式で、陰店では無い。娼妓は居稼制で送り込み制では無い。而して全部時間制であるから廻しは一切取らない。勿論本部屋の必要は無い譯だ。御定りは五圓で甲も乙も無い。多分五六時間が一仕切りで、十時過ぎ頃からなら一泊の值だらうと思はれる。御跳子も一本は附く筈である。

主なる樓名、高島樓、朝日樓、栄松樓、開進樓、大黒樓、花月樓、新開樓、宮本樓、八幡樓、三笑樓。

洲本町遊廓

本町遊廓は兵庫縣洲本町にあつて、淡路島、鳴門海峡等の一小港である。汽車は淡路鐵道の終點に位する。

妓樓約十九軒娼妓約百名位居つて陰店を張つて居る。御定りは一時間遊びが一圓五十錢、一泊は晝間三圓五十錢、夜は四圓五十錢見當である。

篠山町遊廓

篠山町遊廓は兵庫縣篠山町糸口新地にあつて、汽車なら福知山線佐野驛で篠山線に乗換へ賀古川の上流篠山驛で下車する。

現在貸座敷二軒娼妓約百十名位居り陰店を張って居る、御定りは一時間二圓位で宵から引迄四圓位、又晝間三圓五十錢程度である。

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全国遊廓案内(昭和5) はじめに
全国遊廓案内(昭和5) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、当時存在した遊廓を都道府県単位で一覧にしています。

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全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)
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昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、遊廓に関連している言葉の意味を説明しています。(遊廓言葉辞典)


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