このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『栃木縣』に存在した遊廓を説明します。
小山町遊廓は栃木縣小山町にあつて、鐵道は東松線小山駅で下車するか、水戶線の終點たる小山で下車する。之の町は最近非常に過速度の發展をした町の一つであるが、私娼街が一方に殖えた爲め遊廓は左程の發達を見る事が出來ない。現在、妓樓は三軒娼妓は約十五人程居るに過ぎない。店は陰店制で、御定り甲三圓、乙二圓、丙一圓五十錢位で甲と乙には臺の物が附いて一泊が出来る。本部屋は無い。
合戦場町遊廓は栃木縣下都賀郡合戰場町にあつて、鐵道では兩毛線、栃木駅で下車し、西方約三里の地點にある。驛から自動車の便があるので大した不自由を感じない。現在妓樓六軒、娼妓約三十人位居り、全部東京式過し制、店は陰店制である。娼妓は勿論居稼ぎ制だ。遊興費は最低一圓五十錢位より最高御定りは三圓五十銭位迄の様である。
金崎遊廓は栃木縣上郡賀郡西方村字金崎にあって、非常に交通の不便な地點にある。鐵道で行くならば、栃木町で下車し、縣道に沿ふて約七八里北方に位する。馬車自動車の便はある。現在妓棲は二軒娼妓は約十人位居る。店は陰店制で遊興は全部東京式廻し制、娼妓は全部居稼ぎ制である。御定りは二圓で酒肴附。其れ以上は客の任意である。又下級には一圓ニ三十錢でも遊ばせるらしい。
久下田町遊廓は栃木縣芳賀郡久下田町字久松に在って、真岡線久下田駅へ下車して西北へ約三丁の所に在る。
此の遊廓は、明治三十四年の設立で、當時は貸座敷が四軒あつて、可成盛大にやって居たものだった。がたまたま無頼漢が出入して人気を悪くした爲め、今はたつた二軒に成つて終った。だが最近再び人氣を盛り返して、橋本樓、小倉樓の中に木村樓を一軒新築の計畫が持ち上つて居るから、近い內には都合三軒と成る事だらう。娼妓は八人居るが、栃木群馬東京府等の女である。店は珍らしく張店で、娼妓は全部居稼ぎ制である。時間制もやつて居るが、客の廻しも取つて居る。費用は御定りが二圓で酒肴が附き、短時間遊びは一圓五十銭で茶菓が附く、御定りは一泊が出来る。俚謡「真岡線、下館發車すりや久下田の米よ、真岡木綿に益子焼、七重八重さく市塙よ、過ぐれば又、茂木の石たばこ」附近には水の谷幡龍公の城址、及親らんの開いた高田山がある。
真岡は栃木縣芳賀郡真岡町に在つて、真岡線真岡駅から東北へ約十丁の個處に在る。
真岡は真岡木綿の産地として廣く世に知れ渡って居る。米穀の集散地としても附近の要路である。貸座敷は目下四軒あつて、婚妓は十六人居るが、何れも近縣の女である。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興に時間式と、廻し花式とあつて、一時間遊びは一圓二十銭、廻し式の御定りは臺の物附きでニ圓だ。勿論此れで宵からでも一泊が出來る。税も此の中に含んで居るのだ。藝妓の玉代は一時間一圓、妓樓は、海月樓、大吉樓、真岡樓、木村樓の四軒である。
茂木町遊廓は栃木縣芳賀郡茂木町茂木に在って、真岡線茂木駅から三四丁の個處に在る。
茂木町は細川氏の城下で、煙草の産地である。城址は今茂木公園に成つて居て、三峯神社が祀ってある。貸座敷は目下「旭樓」がたつた一軒きりで、娼妓は四人居るが熊本縣と茨城縣の女だ。店は陰店を張つて居て、娼妓は居稼ぎ制だ。時間遊びもあるが、大體が廻し花制である。費用は御定り一泊の並は一圓五十錢、上は二圓五十銭で何れも臺の物附きである。一時間遊びは一圓二十銭であるが臺の物は附かない。本部屋はない。藝妓の玉代は一時間一圓九十五錢、藝妓は高いが娼妓の安い所である。
堀米町遊廓は栃木縣堀米町にあつて鐵道に依る時は、両毛線佐野驛で葛生行電車に乘換へ一つ目の堀米駅で下車する。
機業地佐野町の東北に當つて居り佐野に接続して居る町であるから、佐野の一つの遊興地の様な感がある。佐野町は堀田氏の城下現在人口約一萬八千人位居り機業地として前途
益々發展の傾向がある。堀米遊廓は現在妓樓數約九軒娼妓約三十六人位居り、娼妓は全部居稼制で、店は陰店を張つて居る。御定りは三圓で酒一本附く事になつて居る。本部屋は一圓增。勿論一泊も出來れば、又都合で一時一圓五十銭位で遊興する事も出来る。附近の奮城址は今、古城山公園となつて居る、又別格官幣社店澤山神社も近い。
御厨町福井遊廓は栃木縣足利郡御厨町字福井に在つて、東武鐵道福井駅で下車すれば北へ約三丁の處だから他の乘物へ乘る必要は無い。
此の町は足利程では無いが、養蚕及織物工業の盛んな處で、足利と運命を共にする町である。其れに足利市には遊廓が無いので、自然此の方の客をも吸引する關係上、遊廓は比較的發展して居る。現在貸座敷が六軒あつて娼妓は全部で三十六人居る。縣下の女及東北地方の女が多い。店は陰店を張つて居る。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は客の好みで廻し制もやれば時間制るやつて居る。普通廻しの御定りは二圓五十銭であるが、本部屋で廻し無しの一泊ならば六七圓程度である。此處は八木節の發源地で如何なる娼妓でも八木節の一鎖位はやって呉れる處だ。妓樓は、金槌樓、大富樓、魚樓、中井樓、福井樓、第二高島樓、の六軒だ。
富田町遊廓は栃木縣富田町にあつて鐵道は両毛線富田駅で下車する。
此の町は足利市の足許にあつて、機業の盛んなところで今後は益々發展の曙光が見え、現在は妓樓三軒娼妓は十八人位居るが全部居稼制で東京式の廻し制である。御定りの遊興費と言ふのは別に一定されて居る駅ではないが、普通最低二圓位で三圓五十銭、四圓五十錢と等級が分れて行く。本部屋もあるが四圓位奮発せねば駄目らしい。
足尾町遊廓は栃木縣足尾町にあって、鉄道に依る時は小山高崎間の桐生市で、足尾
線に乗換へ、終點で下車すればよろしい。
之の町は足尾銅山に依つて建つて居る様なもので、従って遊廓も銅山の発掘以後に出來たものらしい。元は十軒程あつたのであるが、私婚のために圧倒されて現在では妓樓がたつた一軒娼は約十人程居るのみだ。店は陰店制で遊興は全部東京式廻し制になつて居る。御定りは好景気時代は仲々の豪遊を極めた相だが、現在は一般が不景気の爲めに沈淪して最低一圓位から二圓、三圓、四圓位の順序になつて居る。臺の物は二圓以上から附く。一圓と云ふのは一時間遊びの事である。相手は主に鑛山に働く人々であるから気さくだ。其れ文けに氣前もよい。人情も比較的純である。
石橋町遊廓は栃木縣石橋町にあって、鉄道は東北線石橋駅で下車する。
駅前にある閑雲寺は徳川家光が宇都宮釣天井の危難を遁れて一時本國を置いた處でる。現在は妓樓三軒、娼妓は約十五人位居り、店は陰店制で遊びは東京式の廻し制である費用は四圓、三圓、二圓等で三圓以上は酒肴付であり、二圓以下は茶菓で一泊するだけの樣だ。附近には雀の從神社閑雲寺等がある。
宇都宮遊廓は栃木縣字都宮市河原町に在つて、東北本線宇都宮駅で下車する。乘合自動車の便がある。
宇都宮は下野第一の都市で、維新前は戸田氏の城下だつた。宇都宮城は、今は城址丈けに成って居るが、宇都宮釣天井で有名に成つた處で、市も其れが為めに人々に知れ渡った處である。師團指令部、下野製紙工場、日清製粉工場、二荒山神社等があつて市は大繁昌である。日光行の鐵道は茲で分れて居る。貸座敷は目下十五軒あって、娼妓は約百二三十人居るが、栃木、福島、埼玉縣等の女が多い。店は写真店で、娼妓は居稼ぎ制、遊興は廻
し制で通し花は取らない。費用は御定まりが三圓位で、臺の物が附き、一時間遊びは一圓位である。
鹿沼町遊廓は栃木縣上都賀郡鹿沼町字五軒に在つて、日光線鹿沼駅から約十丁の處に在る。新鹿沼迄電車で行けば貸十銭。
鹿沼は、天正年間から壬生氏の城下と成り、近江、北海道及鹿沼近傍は麻の三大主産地で、麻問屋が多く、鹿沼には帝國製麻の工場が駅の附近に在る。遊廓には目下貸座敷が五軒あつて娼妓は二十七人居るが、山形縣の女が重である。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。廻し制で通し花は取らない。費用は玉代席料共で二圓二十錢、臺の物や心付けは含んで無いが、此れ丈けでも一泊が出来るさうだ。然し普通は三圓乃至五圓と云ふ處だらう。娼樓には、清水、竹澤、小林、新藤等がある。
今市遊廓は栃木縣上都賀郡今市町に在つて、日光線今市駅で下車すれば北へ約五丁、東武線今市駅で下車すれば約四丁の處に在って、何れの駅で下車しても近いから、人力や自動車の力を借りる必要は無い。
今市町には二宮尊徳翁の霊廟があつて有名であり、又世界的の名勝たる日光「日光を見ぬ內は結構と云ふな」と喧伝されつつある、あの日光が近いのと鬼怒川溫泉に近いので日光の遊覧者や、鬼怒川温泉の湯治客で可成今市は賑って居る。殊に花柳界は非常な發展振りを見せて居るが、何と無く新興氣分が漂つて居て落ち付きが少ない様に思はれる。現在娼妓が五軒あつて、娼妓は全部で二十八人居る。勿論一廓の遊廓を成して居る。店は陰店で娼妓は居稼制であり、本部屋は無いが廻しは取って居る。最低の遊興費は二圓五十銭で、其れ以上は種々あると云ふ事だ。先づ一泊して三四圓と云ふ所だらう。妓樓は大出樓、榮樓、開盛樓、大出樓支店、今市樓の五軒である。
烏山町遊廓は栃木縣那須郡烏山町字旭町に在って、東北支線烏山駅から南へ約二丁の個處に在る。
此の遊廓には目下貸座敷が三軒あつて、娼妓は十人居るが、新潟縣及福島縣の女が多い店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。勿論送り込みはやらない。客の廻しは取つて居て、通し花は特に求められた外は取らない事に成って居る。一時間遊びもある。費用は甲が三圓、乙が二圓で、一時間遊びが一圓五十銭である。臺の物は附かない甲と乙は何れも過しで宵から一泊が可能だ。娼樓は福佐樓、福伊勢樓、福山樓の三軒である。附近の那珂川は鮎釣の名所だ。藝妓の玉代は一時間約九十錢。
氏家町遊廓は栃木縣氏家町に在って、東北本線氏家駅から東へ約五六丁の個處に在る。
町には取り立てて云ふ程の物は無い。昔の宿場が駅に代り、宿場女郎が遊廓に代った位な程度のものである。遊廓は町続きの田甫に突出した處に在って、川を渡った向ふ側に成つて居るので、一寸閑静な處である。目下貸座敷が四軒あつて、娼妓十五人程居るが、多くは本縣下の女である。店は陰店で娼妓は居稼ぎ制、遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は御定りが二圓で御跳子が一本に肴が附く。勿論此れで一泊が出來る時間はさう八釜しい事は云はない。藝妓は大小一組で一座敷二圓位である。
喜連川町遊廓は栃木縣鹽谷郡喜連川町宇松並町に在つて東北本線氏家駅から南北へ約二里、駅から喜連川行きの乗合自動車を利用すれば賃金三十銭。
喜連川は元鹽谷氏の城下で、附近の商工業の中心地だったが、鐵道が開設されて以來は町の勢力は幾分氏家の方に取られた形ちである。遊廓には目下貸座敷が四軒あって、娼妓
は十九人居るが、大てい近県の女である。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は全夜遊び一泊が二圓で、短時間遊びが一圓三十銭だ、臺の物は附かない。本部屋も無い。娼樓には、小高樓、吉見樓、富貴樓、松月樓等がある。藝妓も呼べる玉税は一時間約一圓。附近には葛城の古戦場同城址鹽谷氏の城址等がある。
矢板町遊廓は栃木縣矢板町に在つて、東北本線矢板駅からは七八丁の個慮に在る。
矢板町附近の木幡には、木幡神社があつて、坂上田村麿將軍が山城の木幡神社を遷座したものだと傳へられて居る。其の本殿の樓門は特別保護建造物に成つて居る。貸座敷は目下四軒あつて、娼妓は約十三人居るが本縣下の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し花制で通し花は取らない。費用は御定りが二圓で一泊が出來、簡単な臺の物がつく。本部屋は無い。附近には寺山観音があり、其東には赤瀧温泉がある。
太田原遊廓は栃木縣太田原町にあって鐵道は東北線、西那須野驛から太田原行電車に乗換へ、太田原駅で下車する。
現在は妓樓數四軒、娼妓約二十人位居る。店は陰店制で遊興は全部東京式廻し制になって居る。娼妓は勿論居稼ぎ制だ。御定りは三圓二圓位で酒肴が付く。二圓以下は茶と菓子が付く樣である。以上は一泊の場合で一時間遊びの場合は一圓五十錢である。
黒羽村遊廓は栃木縣那須郡にあつて鐵道に依る時は東北線西那須野驛で下車し、太田原行電車に乗り太田原駅で下車し東方山中へ約七八里の處に當る山村である。馬車或は自動車の便がある。
山中に在る。ぽつりんとした小さな村であるが、隣りの川西町と共に那珂川の上流の河
畔に望んで水運の便があるので、之の町には相當に近在の人々が集って来るので、現在では遊樓が四軒、娼妓は約二十人程居る。御定りはニ圓回位で酒肴が付いて一泊出來る。二圓以上三圓、四圓五十銭と費用は客の任意であるが、特に本部屋としの設備がない様である遊興は東京式廻し制、店は重に陰店を張っている。娼妓は全部居稼ぎ制である。
黒磯町遊廓は栃木縣黒磯町にあつて、鐵道に依る時は東北本線黒磯駅(那須駅の一つ手前)で下車すればよい。
貸座敷の総軒數は三軒、娼妓は十人位居て、重に東北人が多く店は陰店を張っている。御定りは二圓で臺の物が附く、一時間遊は一圓五十銭酒肴なし、全部東京式廻し制になつて居る。本部屋は無い。
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