全国遊廓案内(昭和5) 茨城縣

全国遊廓案内(昭和5) 茨城縣
公開:2021/08/31 更新:

このページでは、昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』の中から、『茨城縣』に存在した遊廓を説明します。


茨城縣の部

平潟町遊廓

平潟町遊廓は茨城縣平潟町にあつて鐵道に依る時は常磐線平潟駅で下車する、乘合自動車の便がある。

昔は江戸と奥州とを往來する船の寄航場だつた關係上、相當昔から繁華を極めた相であるが、港の規模が小さいので、次第に衰微し現在では貸座敷が約十一軒六十人位の娼妓しか居ない。御定りは二圓五十銭で一泊が出來、其の他は一切不用である。又時間遊は一時間一圓乃至二圓位だ。附近は海岸に面し左右から岬角突出して非常に風景絶佳である。

磯濱町遊廓

磯濱町遊廓は茨城縣磯濱町字祝町にあつて常磐線磯濱駅に下車するのである、軒數約五軒娼妓約三十人位居り全部居稼ぎ制である、写真制ではなく大概陰店制が普通の様である。御定りは一泊參圓で乙は二圓五十銭、又一時間遊びは一圓位である。附返には一帯に景勝地で國弊中社、大洗磯崎神社があつて有名である。大洗海水浴場も附近にある。
「磯で名所は大洗樣よ、松が見えますほのぼのと」は此の附近が本家本元である。

取手町遊廓

取手町遊廓は茨城縣取手町にあって、鉄道に依れば常磐線取手駅で下車して五六丁の處に在る。

平将門の勧請したと言ふ相馬總代八幡宮がある。兎に角平将門の時代には相當繁昌した町であるが、今では大した町ではない。現在では貸座敷が三軒、娼妓は約二十人位居る。店は陰店を張って居て、全部居稼ぎ制である。御定りは三圓位で本部屋は一圓増しである。御定りには酒一本が附を自由に一泊が出來る譯である。遊興は東京式廻し制である。又一時間遊びなら一圓位が普通の樣である。附辺の平臺山には不將門の館地があり、相馬總代八幡宮、長禅寺、延命寺、歴史上に有名なものの澤山ある處である。


筑波町筑波遊廓

筑波町筑波遊廓は茨城縣筑波町にあつて筑波山の中復にある遊廓だ。鐵道は土浦で筑波線へ乗換へ、筑波駅で下車する。駅から東北へ約十八町、自動車で行けば筑波神社前ケーブルカーに依る時は、終點で下車する料金は四十錢である。昔から有名な處で筑波へ登山をする人は必ず之の遊廓の前を只では通り過ぎなかったものだ。眼下に霞ヶ浦を見下し、關東平野一帯の見渡る出來るので景色は誠に勝れて居る。貸座敷は合計三軒、娼妓は十二人位居て、全部廻し制店は陰店を張つて居る。御定りは甲三圓、乙二圓五十錢、丙二圓位即ち二圓以上三圓位迄である。本部屋の設備はない。藝装を呼べば一時間一圓十銭附近の名勝、筑波神社、男女川等。

潮来遊廓

潮来遊廓は茨城潮來にあつて、水郷地として有名である。随つて船便で行く事を得策とする。佐原から船便で行く時は佐原潮來間は一日數回小蒸汽及モーター船が出る。約一時間、賃卅五錢位である。

土浦から蒸汽船に乘り霞浦を渡って行く時は、土浦−佐原間に乗る。約四時間、賃片道七十八錢、潮來は古くから一種の勧業水郷として有名な處で、江戸時代には船で行く事が一つの型の様になつて居たものであつた。船は真菰の中を走ってギッコンギッコンと水門
から真田浦を経て行くが、週邊にポフラの木がぼんやりと立並んで居る情景は金ぐ言ひ得ない情緒である。此の地は昔奥州から中仙道に通ずる要津に當っていて、磐子又は鉾田から內海に出入する船は悉く此處を出入せねばならなかったので水駅として有名であつた。水戸領となつて水戶下市藤柄の娼家が移されてからは益々殷盛を極め奮幕の頃は妓樓九軒娼妓百餘名居つたさうであるが、元治甲子の乱に遇ひ過半數を灰燼に歸し、更に明治になって常磐線の開通と共に幾分は淋れ、現在では妓樓三軒、娼妓約二十名位となった。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。東京式の廻し制を採つて居る。

費用は玉代が一圓で一泊が出來る。御茶と御菓子及酒の二種あつて各々次の様な割合になつて居る。甲の六圓が本部屋で、酒附五圓も同上、四圓及三圓七十銭、及二圓五十錢は皆本部屋で茶と菓子付、一圓五十錢は割部屋で茶と菓子附である。藝妓は花代一本四十五錢、お酌は卅五錢、一時間二本の勘定、祝儀は大一圓小五十錢位。

潮來民謠「潮來姐やのなげ盃は、親の意見ぢゃ止められぬ」潮來音頭「揃ふた揃たよ、踊子が揃ふた アリアセイ 秋の出穂より好くそろた ションガイ 合唱 よく揃た秋の出穂よりよく揃た ションガイ」

新郷村中田遊廓

新郷村中田遊廓は茨城縣遠島郡新郷村字中田に在つて、東北本線栗橋に下車して東へ約十五丁、乗合自動車は中田で下車する。

栗橋は利根川の岸辺に在る町で、今は河川工事が出來上ったから氾濫の憂ひは無いが、元は善く洪水騒ぎの在つた處である。駅の前には静御前の墓があり、中田には光了寺があつて静の遺物が残って居る。中田遊廓は幕末の頃から在つたもので、大正十三年に利根川橋が架設されてからは非常に便利に成り、右岸の者は渡しに乘る必要が無く成つて、今で
は栗橋遊廓の観がある。目下貸座敷が八軒あつて娼妓は三十五人居る。娼妓は東北地方及近縣の女である。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。客の廻は取つて居る。通し花は取らない。費用は御定り甲四圓、乙二圓で税が含んで居り臺の物も附いている。本部屋はない。娼樓は琴吹樓、新喜樓、中俵樓、俵樓、仙臺樓、靜惠樓、松葉樓、福壽樓等である。藝妓の玉代は一時間一圓である。

古河町遊廓

古河町遊廓は茨城縣古河町字横山町にあつて鐵道は東北線古河駅へ下車すれば自動車の便があり、横山町で下車すればよろしい。

古河は利根川上渡良瀬川と思川との合流點にあつて、昔から古い歴史を持ち、上杉憲榮氏から足利成氏の後、古河公方に至る迄、關東の中心地として威を振つて居た處である。現在貸座敷は六軒あって娼妓は約三十人位居る。店は陰店制で娼妓は全部居稼ぎ制であり重に東北人が多い様である。御定まりは三圓で酒が一本附いて一泊が出来る。二圓五十銭でも又は一時間なら一圓五十銭位から二圓位でも遊べる。附近に古河公方の御所地址がある。

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全国遊廓案内(昭和5) はじめに
全国遊廓案内(昭和5) はじめに

昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、当時存在した遊廓を都道府県単位で一覧にしています。

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全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)
全国遊廓案内(昭和5) 遊廓語のしをり(遊廓言葉辞典)

昭和5年(1930)に出版された『全国遊廓案内』を翻刻した内容をご紹介します。こちらでは、遊廓に関連している言葉の意味を説明しています。(遊廓言葉辞典)


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